人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      わからないものはわからない。

      JUGEMテーマ:日記・一般


      わかりやすい話。



      先日、芥川賞と直木賞の発表が行われた。話題になったのは、75歳というこれまでの最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子さんだった。テレビで観た限りであるが、落ち着いていて品のある女性のように感じた感じた。



      さて、黒田さんは年齢だけではなく、それ以外にも「型破り」なところがあった。一つは、作品が通常の縦書きではなく、横書きで書かれていることだ。そしてもう一つは、文章がほとんどひらがなで書かれていて、固有名詞やカタカナが使用されていないことだ。



      作品の一部をテレビが紹介していたが、なるほど9割以上がひらがなで書かれている。受賞会見のとき、何故ひらがなで書くのかという記者の質問に対して黒田さんは、漢字だとなにか非常に限定されるところがあって、ひらがなのほうが連想の広がりが豊かだからと答えていた。



      しかしながら、正直なところ、ひらがらがあまりに多すぎると、読みづらいのではないかという疑問もある。漢字やカタカナが適度に使用される文章のほうが読みやすいような気がするが、ただ、一般的には、漢字をやたら多用したり、難解な漢字がちりばめられた文章よりは、ひらがなが多い文章のほうが読みやすいことは事実だと思う。



      ビジネスの世界では、ひらがなとか漢字という問題よりも、わかりやすく簡潔かどうかが問題になる。僕はよく部下に、書類の報告でも口頭の報告でも、簡潔明瞭、サルにでもわかるように説明にしてくれと指示する。説明が長いのは本人がよく理解していない場合が多い。簡潔明瞭に説明できるというのは、本人がきちんと理解しているときにできる芸当なのだ。



      さて、僕は評論とかエッセイが好きだが、本屋で実際に本をペラペラとめくってみて、読みづらそうな本だと思ったら買わないようにしている。そもそも僕の読解能力が低いということもあるが、格好つけてそういう難解な本を買っても読み通すことができないことを知っているからだ。



      専門家が専門家に対して書く論文や本は別にして、一般人をターゲットにして何かを書くときは、わかりやすく書いてほしいと僕はいつも思っている。思想とか哲学などに関するものは特にそうだ。難解な文章を書ける人は「偉い人」というのは間違っているし、読む方も、理解していないのに理解したような顔をするのはよしたほうがいいと思う。わからないものはわからないと正直に言うべきなのだ。



      いずれにしろ明日、新宿の紀伊国屋に行って、黒田さんの本を買って読んでみようと思う。



      写真は、昨夜の銀座。左にライオンビアホールが見える。昨日、取引先が接待してくれて、ひさしぶりに美味しいすき焼を食べた。たまに、牛肉をガッツリ食べるのも悪くない。当然、その後は一人で新宿に突撃し、そして撃沈した。


      | red | | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        お父さんもお爺ちゃんも、セックスしました。
        JUGEMテーマ:日記・一般



        性の話。


        今日は夏至。夏至は、一年のうちで昼の長さが最も長い日で、ちなみに東京の今日の日の入りは午後7時頃だった。今日以降、12月の冬至まではだんだん夜が長くなるわけで、酒好きの僕にとってはだんだん良い環境になってくるので嬉しい。


        さて、坂爪真吾さんが書かれた『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』という本が今話題になっている。なかでも、彼が提唱する「契約婚プログラム」が賛否両論を呼んでいる。今週発売の週刊ポストから引用させてもらうと、「契約婚プログラム」とは「抽選で選ばれた異性のパートナーと、期間を限定した交際契約を結び、実践形式で、男女交際のスキル、相互扶助・共同生活のスキルを磨くことを目的とした、新しいプログラム」だという。


        参加者の条件は「交際相手がいない22歳〜35歳の男女」で、基本的に「大学卒以上」なのだそうだ。このプログラムを立ち上げた理由について坂爪さんは「かつての日本には夜這いなど、若者に男女交際や性を教える仕組みが存在したが、今はそうした場がない」とし、またそのことが、「少子化や晩婚化、未婚化の一因になっている」として、要は、男女に出会いの場を提供し、交際の仕方や性のことも教えましょうというのが、このプログラム立ち上げの理由のようだ。


        このことについてある知識人は「意欲的な活動」と評価し、また、ある知識人は「ナンセンス」と評価し、評価が真っ二つに分かれている。この「契約婚プログラム」について、みなさんはどう考えられるだろうか。


        少し前になるが、教育の場で男女の性(というよりセックスのこと)を教えようという試みがあった。僕はこのことを知ったとき、とても嫌な気分になった。というのは、性のことって、人間を含めた生物全体にとってとても大事なことだというのはみんなが理解しているけれど、でも、あまりおっぴらげにしないようにしようね、これがこれまでの我々の「約束」だと僕は思っていたからだ。


        僕がこの世にいるのは、父と母がいたからだ。その父と母がいたのは、父と母のそれぞれの父と母(僕からすると祖父と祖母)がいたからだ。僕の祖父と祖母は明治生まれの人だったが、今より男女関係が厳格な時代にあって、婚姻し、そしてきちんとセックスもして、多くの子どもをもうけた。明治時代には、出会いの場を提供してくれる会社もなかったろうし、もちろんセックスに関するハウツー本なんかもなかったに違いない。それでも、立派に結婚して子どももたくさんつくったというのは、多分祖父が、いろいろ必死になって「情報収集」した成果(性果?)だと僕は思っている。


        男女や性のことは、自然体でいけばいいのであって、他人が余計なお世話をしない、それでいいのではないかと僕は思う(男女や性ののことは、見よう見まねで覚えるものだ)。坂爪さんの本の帯に「新しい「性の公共」を求めて」と書いてあるが、「性の公共」という意味がよくわからないし、そもそも、今述べたように、「性」と「公共」というのは全く相容れないものだと思うけど、如何だろうか。


        写真は、ご存知、ナポリタン。性の話とはまったく関係ないけど、この頃、ナポリタンとかミートソーススパデッティについて調べている。独自の美味しいナポリタンとミートソースを作ってみようかと考えている。

        | red | | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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          ニューハーフ、女装家、男娼、なんでもOKです。
          JUGEMテーマ:日記・一般



          吉原の話。


          東京でも今日、サクラの開花宣言があった。日本人はどうしてこんなにサクラが好きなのかわからないけど、僕は春に咲くサクラよりも秋の紅葉のほうが好きだ。


          さて、先日、新宿ゴールデン街のある店に初めて行った。その店でバイトをしている女性に、僕のブログのプロフィール写真(腕組みしている写真だが、トリミング前はもちろん全身が写っている。)を撮ってもらったのだ。彼女の本職はカメラマンで、撮る対象のメインがニューハーフや女装家で、とても個性的なカメラマンだ。


          その日、僕の右横には一見すると普通の男性が座っていたのだが、この男性は実は女装家で、昼間はサラリーマンをしているという。その方の話をいろいろ聞きながらウイスキーの水割りを3杯飲んで、もうそろそろ帰ろうかなあと思ったときに、ピンクの衣装を着た「女性」がお店に入ってきた。その「女性」は僕の左横に座ったのだが、この方も女装家であることがすぐわかった。どうやらこの店には、女装家やニューーハーフが夜な夜な集まるらしい。


          さて、『江戸のフーゾク万華鏡』という本がある。そこに、遊女の水揚げ(セックスの初体験)に関する話が書かれている。江戸時代の吉原では、遊女の多くは幼いときに妓楼(ぎろう)に売られてきた。その後、いろいろな躾と教育を受け、15歳前後にプロとしてデヴューするのだが、それに先立った行われるのが水揚げという儀式である。


          水揚げをする男性は、40歳以上の馴染み客がだった。当時、40歳というのは初老とされていたが、性経験が豊富で、挿入しても女性器を傷つけないように優しくセックスができるというのは、若い男性には真似できないことだった。


          吉原はお金持ちの武士や商人が遊ぶ合法の売春地帯であるが、庶民は岡場所と呼ばれる非合法の売春地帯で遊んだ。当時、江戸には40〜50ヶ所岡場所があり、なかでも、深川には岡場所が多かったとされる。


          冒頭、ニューハーフや女装家のことに触れたが、江戸時代初期には、武士たちのあいだで男色が好まれた。武士のみならず、僧侶も男色を好んだとされるが、その理由は、僧侶は女性と関係を持ってはいけないとされていたからだ。このようななかで、江戸には陰間(かげま)と呼ばれる、男色専用の若い男性娼婦が存在した。


          以前、春画のことを書いたときにも述べたが、日本人はそもそも、性に対してとても貪欲で開放的な国民のような気がする。『江戸のフーゾク万華鏡』を書いた永井義男さんは、江戸時代には、売春をはじめとする性風俗に対して抵抗感や罪悪感はなかったとしている。そのことが良いことなのか悪いことなのかという議論はあるかもしれないが、性のことに対して大らかだということは、窮屈じゃなくて僕は好きだ。


          写真は、吉原のことを描いた映画「さくらん」。

          | red | | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            「あの世」に行かれた方はいらっしゃいますか?
            JUGEMテーマ:日記・一般



            生き返る話。


            スウェーデンで先日、雪に埋もれた車の中で2か月間いた45歳の男性が奇跡的に救出された。寒さで男性の体温は31度程度の低温になっていて、一種の仮死状態にあったという。通常、水だけで人間は1か月程度しか生きられないが、この男性は寝袋に入り雪を食べて生き延びたらしい。


            一方中国では、95歳の女性が「生き返った」という。今月1日、この女性は散歩の途中転倒した際に頭を打ち、軽い脳震盪(のうしんとう)と診断された。その後安静にしていたが、17日、この女性はベッドに寝たまま反応がなく、周囲の人は「死んだ」と判断し、彼女を棺桶に入れた。葬儀は24日行うことになっていて、前日の23日に棺桶を確認したら「遺体」がなかった。


            周囲の人たちが「遺体」を探していたら、この女性は台所に立っていた。目が覚めたらお腹がすいていたので、おかゆを作っていたと彼女は話した。本人はいたって元気で、こちらも一種の仮死状態にあったのではないかと考えられている。


            車に閉じ込められた45歳の男性も、棺桶に入れられてしまった95歳の女性も、一瞬「三途の川」を渡りかけ、「あの世」を垣間見たのかもしれない。


            仏教研究家の村井幸三さんが著した『お坊さんが困る仏教の話』によると、仏教の開祖とされるお釈迦様は、「あの世」はないと説いていたという(ただし、このことには反論もあるようだ。)。ただ、多くの日本人は肉体と魂は別物と考えていて、たとえ死んでも人間の魂は「あの世」で生き続けると信じている。


            日本人は死に対して淡々とした民族、死を恐れない民族と村井さんは言う。その最大の理由は、昔から日本人には霊魂信仰があり、たとえ死んでも魂だけは「あの世」に繋がっているという考え方が根付いているからではないかと村井さんは分析している。僕は「あの世」に行って帰って来た人の話を聞いたことがないから、「あの世」があるとかないとか判らないけど、信仰することでいろいろな面で救われるものがあるのなら、それはそれで良いと思う。


            しかしながら、先日マンションの退去命令の出された女性お笑いタレントの場合は、信仰で身を滅ぼす結果になってしまったのかもしれないね。


            写真は、3日前くらいの新宿3丁目。

            | red | | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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              銀座、ドラキュラの夜。
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              才能の話。


              昨日、接待があって久しぶりに銀座に突入した(写真)。新宿もいいけど、やっぱり銀座もいい。昨夜は、北京ダックが美味しいと評判の4丁目交差点近くにある中華料理店で食事をした後、都内唯一と言われるグランドキャバレーに河岸を変え、若いホステスさんの生血を吸って、リフレッシュしてきた(僕はドラキュラになりました。)。


              さて、芥川賞が先日発表された。二人が受賞したが、そのうちの一人が行った記者会見をめぐり、いろいろ意見が出ているようだ。「39歳にもなって、非常識な会見だった」と批判がある一方、「才能ある天才なのだから、ある程度仕方ない」と容認する意見もあった。


              ビートたけしさんが以前書かれた本に、次のような一節があった。「残酷な話だけど、才能は誰にでもあるものではない。そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。」「眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。」。僕も全くそのとおりだと思う。世の中のほとんどの人は僕を含め才能のない凡人、だから、あまり高望みせず、生活の知恵を出し合いながら、なんとか助け合って生きていこう、そういう心構えを僕はいつも持っている。


              今回の記者会見で話題になった方は間違いなく、小説を書く才能があるのだろう。しかし、である。才能ある小説家である前に、普通の社会人であってほしいと僕は思う。それに、あまりにも傲岸不遜な態度は、ハッキリ言って不愉快だった。才能があれば何を言っても許されるとか、何をやっても許されるとかもし思っているなら、それは論外だろう。聞くところによると、受賞者はこれまで、一度も働いた経験がないという。そのこと自体をどうこう言うつもりはないが、結果として「社会性」が少し欠如した大人になってしまったのでは、そんな気もした。


               

              | red | | 12:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                旧郎旧婦様には、「ご終儀」を。
                JUGEMテーマ:日記・一般



                離婚の話。


                僕のブログのタイトルは「人生いろいろ、人生エロエロ。」であるが、寺井広樹さんが書かれた『離婚式にようこそ』を読んで、男と女の間には本当にいろいろなことが起きるものだと、改めて感じた。


                寺井さんは若干31歳であるが、小さい頃から「結婚式があるのに、どうして離婚式がないのだろう」と疑問を持っていたというから、並みの人間ではない。彼の現在の肩書きは「離婚プランナー」。3年前から離婚式を執り行ってきて、これまでに90組以上が「めでたく」離婚式を挙げたのだそうだ。


                離婚する二人は新郎新婦ではなく「旧郎旧婦」と呼ばれる。式には主に彼らの友人たちが集まるが、旧郎旧婦の両親が出席することもあるというから、そこだけ見ると結婚式と何ら変わらない。しかしながら、結婚式と決定的に違うところは、結婚式では結婚指輪を交換するが、離婚式では「結婚指輪のハンマー割り」をするのだ。結婚の象徴である指輪をハンマーで思い切り叩き割り、スッキリした気分で離婚し、そして、お互いの新しい人生の出発を祝おうというわけだ。


                離婚式ではオプションで、結婚から離婚までの「スライドショー」も上映可能というから、気が利いていると言えば気が利いている(一体、どういう気分で旧郎旧婦は観るのかね。)。面白いのは、結婚式の「ご祝儀」に相当するものが、離婚式では「ご終儀」と呼ばれ(離婚だから、結婚が「終わり」というわけだ。)、友人などで持ってくる人がいるのだそうだ。


                これまで実際に離婚式をやったのは90組だが、問い合わせは6千件以上あるという。離婚式はこれから一気に増えていく可能性は十分あるような気がする。それにしても、あまり深刻な雰囲気にならずに離婚式が出来るというのだから、日本人というのは実にユーモアのセンスがある国民だと皆さん思いませんか?


                写真は、新宿駅西口の今夜の様子。午後6時半頃だったけど、辺りはすっかり暗い。秋も深まってきて、熱燗が美味しい時期になってきた(昨日は、熱燗ではないけど、日本酒を常温でガバガバ飲んでしまった。ということで、今日は休肝日にしました。)。

                | red | | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                  法隆寺よりも、ドライアイス工場のほうが、美しい。
                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  工場とダムの話。


                  僕がたまに行く新宿ゴールデン街のある店に、工場の夜景ばかりを撮ったDVDと、ダムの放水シーンばかりを撮ったDVDが置いてある。昨年、僕はそれらのDVDを初めてその店で観た。「超マニアックなDVDだなあ」とそのとき思ったが、その後、工場ファン、ダムファンが結構いることを知って、僕は少し驚いた。


                  原武史さんが書かれた『「鉄学」概論』を読んでいたら、工場ファンやダムファンが結構いる理由を、なんとなくわかったような気がした。作家の坂口安吾は、かつて茨城県の取手に住んでいて、常磐線に乗って東京に行く途中、いつも東京拘置所(当時は、小菅刑務所と呼ばれていた)を見ていた。安吾はエッセイで「勿論、この大建築物(小菅刑務所)には一ヶ所の美的装飾というものはなく、どこから見ても刑務所然としており、刑務所以外の何物でも有り得ない構えなのだが、不思議に心を惹かれる眺めなのである。」と書き、「利根川の風景も、手賀沼も、この刑務所ほど僕の心を惹くことはなかった。」と述べている。


                  利根川や手賀沼よりも、小菅刑務所のほうが安吾には美しく見えた。安吾は、小菅刑務所は「美」というものを一切考えずにつくられていて、あるのはただ「必要」であり、「必要なもののみが、必要な場所に置かれ」「必要のみが要求する独自の形が出来上がっている」、だからこそ美しいと言っている。


                  それにくらべ、「法隆寺だの平等院は、古代とか歴史というものを念頭に入れ、一応、何か納得しなければならぬような美しさである。直接心に突当り、はらわたに食い込んでくるものではない。」とし、一方、「小菅刑務所とドライアイスの工場は、もっと直接突当り、補う何物もなく、僕の心をすぐ郷愁へ導いて行く力があった。」と、安吾は当時、ドライアイス工場に魅力を感じていたことがわかる。


                  結論であるが、工場やダムには、余計なモノが一切そぎ落とされた「必要美」のようなものがあり、そこに人間は感動するのかもしれない。安吾はそのことを70年も前に気づいていたわけだ。


                  写真は、神奈川県、磯子の工場群。また、夜景.COMから拝借しました。

                  | red | | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                    僕は、新宿のBARにいる。
                    JUGEMテーマ:日記・一般




                    ススキノの話。


                    といっも、ソープランドとかキャバクラの話ではない。ススキノに関する本と映画に関する話を少し。


                    東直己さんは、札幌在住の作家で、ススキノを舞台にした小説やエッセイを多く書いている。ススキノ大好きの僕は一時期、ススキノに思いを馳せながら、彼の作品をよく読んだ。その東さんが書いた『バーにかかってきた電話』が今般、「探偵はBARにいる」というタイトルで映画化されることになった。


                    実は、『探偵はバーにいる』というタイトルの小説を東さんは別に書いている。想像だが、映画化に際し、内容的には『バーにかかってきた電話』のほうが適していて、タイトル的には『探偵はバーにいる』のほうが適していた、そういうことなのかもしれない(ただし、「バー」は映画では「BAR」に変わっている)。映画は来月10日に公開されるということなので、観に行こうと思う。


                    さて、東さんにはススキノエッセイ3部作というのがあって、そのなかに、「ジンギスカン」の話がある。それによると、ジンギスカンは自宅で、店で、そして野外で1年中美味しく食べることのできる、北海道人のソウルフードだというのだ。ジンギスカンをこよなく愛する僕も同感である。子どもの頃、100グラム80円くらいの安いマトンを青空の下でよく食べものだ。1キロ食べても800円だから、本当に安いよね。


                    そういえば先日14日、新宿ゴールデン街の飲み仲間と一緒に、新宿三丁目でジンギスカンを食べた。思うに、ジンギスカンほど、焼き方が個人によって異なるものはないような気がする。ちなみに僕は、肉以外には、もやししか入れない。もやしを均等に鍋全体に敷き、その上に肉を乗せて焼く。性格が単純なので、焼き方も単純なのだ。


                    ということで、今日はつまらない話になってしまったが(いつものことだが)、お盆明けということでご容赦願いたい。


                    さて、昨夜は、銀座の土佐料理店で鰹のタタキを頂いた。ソウルフードという話があったが、鰹のタタキは間違いなく高知県のソウルフードだと思う。


                    写真は新宿ゴールデン街。銀座の後、ここで締めた。

                    | red | | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                      生殖行為不可能、僕も、用なしかも。
                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      老いの話。


                      本川達雄さんの『生物学的文明論』を読んでいたら、面白いことが書いてあった。もともと人間の寿命は40歳くらいで、それ以降の人間は、医療技術などによって支えられて生きているだけの「人工生命体」だというのだ。なるほど、そう言われて見ると、40歳くらいになると身体のいたるところにガタがくる。僕も50歳を過ぎたから、「人工生命体」ということになる。


                      人間以外の動物は、老いて生殖行為ができなくなったときに「用なし」になる(「用なし」になる日が、僕も近いかも。)。それには理由があって、自然界では食料が限られているから、食料の争奪戦でもし子どもが負けて栄養状態などが悪化すると、種として子孫を残していくことができなくなってしまうからだ。


                      ところで、日本人の寿命は世界一レベルで、女性は86歳、男性は79歳だ。江戸時代の日本人の寿命は40歳代、昭和22年頃でも50歳だったから、今のような長寿になったのはつい最近のことなのだ。


                      さて、深山七郎の名作『楢山節考』は、姥捨て山の話だ。貧しいある山村では食料が乏しく、その村の老人は70歳になると楢山に捨てられるという掟がある。老人を捨てることは、残った家族が少ない食料などを分け合いながら生き延びていくための手だてなのだ。息子は老いた母親を背板に乗せ、その母親を捨てるために楢山に登って行く。


                      長寿社会、少子化社会、そして低成長社会(所得が伸びない社会)という現代にあって、若い世代の人間は、自分が生きていくことだけで精一杯だ。そのうえ、親の面倒までみろというのは、よくよく考えてみると、酷なようにも思える。「三丁目の夕日」の時代のように、経済が右肩上がりで(当時の経済成長率は11%程度、昨年は2%台)、子どもの数も多ければ、社会全体で老人を支えることもできただろう。


                      多分であるが、経済の高度成長は今後当分見込めないだろう。医療はますます進歩し、長寿社会は超長寿社会になっていくに違いない。一方、夢と希望がなかなか持てなくなった社会にあって、少子化の改善は難しいかもしれない。そうなると、長生きすることが社会、もっと言えば、国家にとって望ましいことなのか、甚だ疑問になってくる。


                      ところで皆さん、今日本で、65歳以上の高齢者はどのくらいいるかご存知ですか。答えは、約3000万人。全人口に占める割合は23%を超えていて(つまり、4人に1人は65歳以上ということです。)、この割合は先進国のなかでも群を抜いている(例えば、アメリカは12%程度)。


                      長寿社会。長生きすることは人間にとって喜ばしいことかもしれないが、喜んでばかりいると、そのツケが若い世代に重い負担を強いて、結果、幸せに暮らせない国民を増やしてしまうような気がする。僕は、長寿社会の問題を政治課題として取り上げることが本当は必要なのではないかと思う。


                      写真は今日の銀座中央通りの歩行者天国。暑くて、道路に出ている人はまばらだ。

                      | red | | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                        上がらないロケットが、本当は多いのです。
                        JUGEMテーマ:日記・一般



                        ロケットの話。


                        直木賞の発表が先日あり、池井戸潤さんの『下町ロケット』が受賞した。僕も早速この本を購入して読んでみた。


                        池井戸さんが書かれた本を読んだのは初めてだったが、楽しく読ませてもらった。この本は、下町の小さなメーカーである佃製作所の奮闘を描いたもので、お金をなかなか貸してくれない銀行との折衝、特許技術をめぐる大手企業との攻防など、中小企業が直面しそうな問題、トラブルを中心に、物語は展開する。


                        佃製作所は結局、巨大な敵を相手にすべての戦いを勝ち抜き、佃社長の夢であった、同社のバルブシステムを搭載した国産ロケットの打ち上げを成功させる。ハッピーエンドでめでたし、めでたしという感じなのだが、ちょっとだけ思ったこともある。


                        僕もビジネスマン生活を30年近くやってきて、銀行との厳しい折衝に臨んだり、特許の一つである商標権問題である会社と切った張ったの戦いをしたり、その他数え切れないほどいろいろな問題に取り組んできた。それらのことを通じて得た教訓は、この世の中、自分たちの思うように行くことが、本当に少ないということだ。どうだろう、勝つ数より、負ける数のほうが間違いなく多いのではないだろうか。


                        佃製作所のように、夢を持って真面目に仕事を続けていれば、ハッピーエンドが必ず待っている、読者にそう訴えて希望を与える、それも小説の一つの書き方なのかもしれない。でも、現実を冷静に直視すれば、たとえ夢を持って真面目に仕事をしていても、報われないことばかり(最悪、倒産に追い込まれてしまう)、そういった中小・零細企業のほうが実際には圧倒的に多いのではないだろうか。


                        努力しても報われない、この世の中は辛いことばかり、そんな「無常」を描くことが、小説のもう一つの書き方のような気がする。性格が暗いせいか、ハッピーエンドの小説より、この世の辛さを改めて訴える小説のほうが、僕はどちらかというと好きだ。


                        さて、今年は原発事故の影響で、東北、関東のお祭り、花火大会などが中止されている。露天商をやっている知り合いの方に先日新宿であったら、仕事がなくなって収入が激減していると話していた。そんななか、福島県いわき市の露天商15人が、原発事故により本来得られるはずだった収入が得られなかったとして、東電に9200万円の損害賠償請求を行った。


                        そもそも、長年続いているお祭りや花火大会を中止する必要があるのかと思う。ここまでくると、原発事故に対する過剰反応のような気がする。


                        僕の住んでいる高円寺で毎年行われている「東京高円寺阿波おどり」は、来月下旬、予定通り開催される。よかった。写真は、昨年の阿波おどりで撮ったもの。ちょっとだけ、エロアングル。

                        | red | | 14:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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