人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      頼り過ぎは、よくない。

      JUGEMテーマ:日記・一般


      よりどころの話。



      今日から31日まで仕事でベトラム・ハノイに行く。昨年8月以来の海外であるが、この年になると飛行時間6時間というのはかなりきつい。若い頃なら飛行機に乗って綺麗なキャビン・アテンダントにチラチラ目をやることが楽しみだったが、そんな元気もだんだんなくなってきた。



      こんなヤワな人間がいる一方で、アルジェリア人質事件で犠牲になられた方々のように、仕事に対する使命感を持って海外の危険地帯で日夜働く企業戦士たちもいる。それにしても、亡くなられた10名の方々は気の毒というしかない。政府や企業は日本人の安全確保に一層力を入れなければならないのは当然であるが、宗教問題など越すに越せない高いハードルも厳然としてあるような気もする。



      アルジェリアはイスラム教の国であるが、今回の事件の犯人グループはイスラム原理主義者だと言われている。イスラム教とイスラム原理主義の違いがよくわからないので、Wikipediaを調べてみたが、やっぱりよくわからない。ただ、イスラム原理主義=過激派という一般にあるイメージはどうやら間違っていることだけはわかった。



      宗教のことは全くくわしくないが、大きく見ると、世界中のもめごとの根底には宗教のことがあるのかもしれない。僕のように宗教にはぜんぜん関心のない人間にとって、宗教のことで対立するということがなかなか実感できない。



      世の中には、キリスト教、イスラム教、仏教といった大きな宗教から新興宗教まで多種多様の宗教が存在するのかもしれないが、それらに共通していることは、宗教を信じるものにとって宗教は「よりどころ」だということだと思う。その「よりどころ」をさらに強固なものにするために、宗教に物語性をもたらせることもある。



      例えば、キリスト教では、イエスは絶対唯一の神とされている。その他、聖書には物語というか神話のような話がたくさん書かれていて、キリスト教を信じる方々にとってそれらのことは当然の前提としてとらえられている。そのことに対して他の宗教の信者が「それは違います」と抗議をしても、キリスト教信者は一歩も譲ろうとはしないであろう。



      「よりどころ」を持つということは、生きていくうえで大切なことかもしれないし、その点で宗教の持つ意義というのは計り知れないものがあるのだろう。しかしながら、「よりどころ」にあまりに入れ込んでしまい、一歩も引かないような感じになってしまうと、世の中でいろいろな争いが起こってしまうような気がする。



      僕のように宗教を信じずに通俗的に生きることがいいとは言わないが、今回のアルジェリア人質事件は宗教というものの難しさ、複雑さを示したことは確かなような気がする。



      写真は、ベトナム航空の制服。いいね。


      | red | 時事 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        無駄遣いをしましょう。

        JUGEMテーマ:日記・一般


        無駄の話。



        先日築地市場で行われた初セリで、青森大間産のマグロが1億5千万円超で落札された。競り落としたのは昨年と同様、回転寿司チェーン店の社長だった。一説によると、この社長は現金を3億円準備していたという。この取引をめぐっては賛否両論あるようだが、少なくとも、このせいでマグロの価格が今後高騰するということはないような気がする。



        さて、今の若者は(このフレーズが出始めるとオジサンになった証拠。)なかなか堅実だという話を前回書いたが、バブルを経験した僕からすると、お金をたくさん使う経験を彼らもできる世の中が早く来てくれれば良いと思う。



        今日はさすがに少し下げだが、日経平均は安倍政権誕生前夜からうなぎ登りだ。今朝のテレビによると、デパートの年明け営業も絶好調だという。政権交代してまだ一ヶ月もたたないのに、消費者の懐具合が急によくなったわけではない。大切なのは世の中全体のムードだ。



        バブルでいい思いをしなかったという人もいるかもしれないけど、僕は幸運にもいろいろ楽しい思いをさせてもらった。僕が何よりもいいなあと思ったのは、世の中全体の明るさ、独特の「うわつき感」だった。それと、無駄遣いがかなりの部分容認されていた。贅沢は素敵なことという言葉さえあった。



        ご存知のように、その後日本経済は痛い目にあうわけだが、しかしながら、文化もふくめて世の中のいろいろなことって、きっと、無駄遣いの経験のなかから生まれ発達していく側面があるような気がする。僕のように四角四面で真面目な人間からは、文化の香り漂う業績というのは一切生まれないと言える。



        無駄遣いというけれど、金は天下のまわりものだから、無駄遣いをした人もいれば、その一方で儲かった人もいるわけだ。その儲かった人は、儲かった、儲かったと浮かれてしまい、今度は自分が無駄遣いをする番になる。バブルのときって、その繰り返しだったような気がする。結果、みんなが少しずつ豊かになる、でも、度を超してしまったので、神様からきついお灸をすえられたわけだ。



        まあ、このように考えれば、無駄遣いとうのは世の中全体から鳥瞰すると、無駄遣いのようで無駄遣いでないと言える。だから、お金があったら貯めてばっかりいないで、どんどん使いましょうというのが、今日の結論だ。といっても、現実的には、将来への備えを少しだけは準備しておく必要があることも事実だ。



        今朝のテレビによると、大間の漁師さんには1億5千万円の約8割が入るらしい。この漁師さん、今年一年は寝て暮らせるね。でも、貯金はあまりしないで、どんどん遊んでもらうと、幸せのおすそ分けが多くの人にいきわたると思う。



        写真は、北海道の函館山。百万ドルの夜景とよく言われるが、今の為替相場からすると約87百万円。大間のマグロの約半分だから、そう高くはないかもね(夜景壁紙.comさんから拝借しました。)。


        | red | 時事 | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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          チャンス、チャンス、チャンス。
          JUGEMテーマ:日記・一般



          男女の話。


          今年もあと一週間を切った。あわただしい年末であるはずなのだが、僕は昨日、今日と二日間、会社を休んでしまった。さぼったわけじゃなくて、どうやらノロウイルスを罹ったみたいなのだ(しかしながら、病院の先生によると、ノロウイルスか単なる風邪かの見極めは極めて難しいという。)。


          クリスマスイブの前夜、ある食べ物を食べた後急に便意が襲ってきた。それから何度もトイレと部屋を行き来して、翌日にはお腹のほうも痛くなってきた。激しい嘔吐こそなかったが、ノロウイルスの典型的な症状のように思えた。


          昨日、近くの内科に行って薬を処方してもらったお陰で、今日午後あたりから下痢と腹痛は収まった。明日は多分会社に行けると思う。この二日間、うどんや蕎麦しか食べてなかったので、明日はちょっとだけ脂っこいものを食べてみようかと思う。


          さて、第二次安倍内閣が発足した。問題山積のなかでの船出であるが、なんとか経済再生を実現して、元気な日本を取り戻してほしいと願う。夕方発表された大臣の顔ぶれを見ると、重厚感、安定感があってなんとなくやってくれそうな気もする。そんななか、今回の内閣には女性大臣が二人登用された。また、政府三役にも女性役員が二人登用された。このような女性登用は安倍総理の方針らしいが、その部分だけ僕はちょっと引っ掛かっている。


          今回の総選挙の有権者は約1億人で、男女比でみるとほぼ一緒であるが、正確に言うと3百万人くらい女性のほうが多い。一方、総選挙で当選した女性立候補者は38人に留まった(当選者総数480人)。前回(09年)の総選挙では54人であったから大幅に減少したことになる(前回は、民主党だけで40人が当選した。)。


          当たり前のことであるが、現在の選挙制度では、投票すること、立候補することに関して、男女間に違いは一切ない。ある一定の年齢になれば、特別なことがない限り、男性であっても女性であっても自由に投票し、自由に立候補することができる。


          何をいいたのかと言うと、敢えて「女性登用」という表現を使う時代はとっくに終わっているのではないか、僕はそう言いたいのである。安倍総理は昨日、政府三役のお披露目の場で「女性が活躍しなければ、今後の日本の発展はない。」という趣旨のことを発言していたが、相当以前からそういう状況になっているわけで、このような発言が出ること事態、なにか時代遅れのような気がした。


          ビジネスの世界も含め、どんなところでも男女平等の世の中はなっている。チャンスは平等に与えられている。もしそうでなければ、誰かが必ず騒ぐだろうし、法律で争ったら男女平等と主張する側が勝つに決まっている。今はそういう世の中なのだ。


          選挙に関しても、チャンスは男女に平等に与えられているわけだから、あとは、能力、実力の世界である。そうなれば、改まって「女性登用」などと言う必要はまったくないわけで、単に「能力、実力、適性で選びました。」と言えば済むことではないだろうか。ことさら「女性登用」を強調すると、本当は安倍総理は男尊女卑ではないかと勘ぐりたくなってしまう。


          まあ、目出度い船出の日に批判めいたことを言うのは野暮かもしれないが、期待する政権なので、あえて書いてみた。


          写真は、新宿三丁目。先週、元気な頃に撮ったものです。

          | red | 時事 | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            日本プロ野球界の星になれ。
            JUGEMテーマ:日記・一般



            野球の話。


            北海道にいる友人の多くは今、北海道日本ハムファイターズのファンだ。地元北海道にフランチャイズがあるのだから、日ハムファンになるのは至極当然なことかもしれない。しかしながら、同じ北海道出身でも僕は、ひそかにずっと巨人ファンをやっている。


            さて、花巻東高校の大谷投手がすったもんだの末、日ハムに入団することが決まった。当初、大谷投手はメジャーリーグを目指すことを表明していたが、ドラフトで強硬指名した日ハムの説得に折れ、結局、日本球界でプレーすることになった。


            メジャーかそれとも日本球界か、大谷投手の選択について賛否両論があるようだ。日本球界で少し勉強してからメジャーに行くべきという意見がある一方、初志貫徹でメジャーにチャレンジするべきだという意見もある。僕の意見は、そのどちらでもない。


            そもそも論になるが、メジャー、メジャーとなぜそう騒ぐのか、僕にはよくわからない。確かに、メジャーには世界から優秀な選手がたくさん集まっていることは事実だろう。日本からも、イチロー、黒田などが現在大活躍している。一度はイチローのようにメジャーという大舞台で腕試しをしてみたい、野球を志す選手たちがそう思う気持ちは理解できる。


            日本球界でも最近は外国人選手が増えたが、それでも大半は日本人選手だ。思うに、日本には日本らしい独自の野球がある。メジャーのようなダイナミズムには欠けるかもしれないが、バントなどの小技を駆使したり、定石では考えられない意表を突く作戦に出たり、心理面で相手に揺さぶりをかけたり、メジャーではなかなかお目にかかれない面白さが日本の野球にはある。


            WBC二連覇にはそれなりの理由があるはずだ。それは一言でいえば、総合力の勝利ということだろうと思う。飛び抜けた天才はいないが、走攻守それぞれの職人が揃っていて、各自が自分の役割を十分自覚してプレーしている。メジャーのように全員が「スター」ではなく、でっこみひっこみあり、硬軟取り混ぜという、なんともいえない全体的なバランスが日本の野球を面白く、そして強くしている。


            はっきり言うが、メジャーの試合を面白いと思って観ている日本人は実は少数なのではないだろうか。もちろん、野球が面白くない=プレーの水準が低い、という等式は成り立たないが、いずれにしろ、日本の野球は世界最高水準にあることは誰もが認めるところなのだから、大谷投手はメジャーになんか行かないで、日本の野球ファンの目の前でずっと活躍して野球人生を送ってくれればいいのではないかと思う。


            写真は、星ナビ.comから拝借しました。漫画・巨人の星では、父・一徹が宵の明星を指差し飛雄馬に「巨人の明星になれ」と励ましたが、大谷投手のお父さんはどうだったのだろうか。

            | red | 時事 | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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              大きな福を集めましょう。
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              酉の市の話。


              昨日、浅草・鷲神社の酉の市(おとりさま)に行ってきた(写真)。商売繁盛のために、去年ここで初めて熊手を買った。なんでも、熊手は毎年少しずつ大きくしていくものらしく、僕もこのしきたりに従い去年のものより一回り大きい熊手を購入して、さっそく新宿のお店まで持っていった。


              昨年の酉の市は、東日本大震災の起こった年だったせいか、なんとなく盛り上がりに欠けていた。それに比べると今年の酉の市は活気があった。祭りというのはこうでなくてはならないと思う。


              祭りは厳粛な行事であると同時に、賑やかで楽しいものである。いずれにしても非日常的な雰囲気に溢れていて、気持ちが高揚する。日常生活では不愉快な雑踏も、祭りの雑踏はかえって心地よい。気持ちが大きくなって財布の紐もつい緩み、あれもこれも買ってしまう。祭りときはパッーと使う、それでいいのだと思う。


              さて、自民党は今日、政権公約を発表した。経済再生を前面に打ち出したもので、政権奪還した折には是非実現してほしいと思う。いつもここで書いているが、デフレを克服して経済に活力を取り戻すことが今の政治に最優先に求められることだと思う。貧すれば鈍するという言葉があるが、生活が苦しくなれば、精神面までおかしくなってしまう。


              来年の酉の市では、今年よりもっと大きな熊手を買えるような経済状況になっていることを期待したい。

              | red | 時事 | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                もっと安くに慣れてしまいました。
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                仕事の話。


                新橋などで今、手頃な価格で楽しめるイタリア料理やフレンチ料理の店が流行っているという。客単価は3千円台ということで、サラリーマンでも気軽に利用できるらしい。この店舗を運営する社長は、接待費をたくさん使えない会社が増えているなかで、高級料理店には限界があると判断したという。


                さて、内閣府は昨日、国内総生産(GDP)の速報値を発表した。それによると、このままの経済状況が続くと、年換算でGDPは前期比△3.5%、つまりマイナス成長になる見込みだという。数字の上でも、日本経済の景気後退がより鮮明になってきたようだ。


                不景気であることをみんな実感しているに違いない。デフレの悪夢は消費者の行動パターンを変えつつある。例えば、大手スーパーは何度も値下げを実施しているが、一向に売上が伸びない。なぜなら、値下げに消費者は慣れてしまい、多少の値下げでは消費者の購買意欲をそそらなくなってしまったからだ。この状況に追い討ちをかけたのが消費増税だ。将来に対する不安感が、消費者の購買意欲を一層削ぐかたちになった。


                専門家のなかには、人口減少などに伴って経済はもう成長しないだろうとか、なかには、経済はもう成長しなくてもいいとまで言い切る人もいる。しかしながら、僕はそれは違うと思う。景気がどんどん後退すれば、最終的には雇用に影響が出て、失業率が高くなる。失業するとどうなるか。とてもみじめなことになる。どんなに小さな会社であっても、そしてどんなにささいな仕事であっても、仕事をするということが人間にとってはとても大切なことなのだ。


                仕事を通じて、わたしたちはたくさんのことを学ぶ。仕事を通じて、自分の評価、価値を知る(他人の評価が自分の客観的評価だ。)。そしてなによりも、仕事を通じて、わたしたちは社会性というものを身につけて、社会の一員として生きていく術(すべ)を学ぶ。


                仕事がなくて他人と触れ合うことなく、一日中家にいたり、外でぶらぶらしていると、人間は必ず孤独感におちいる。そうなると、人間は余計なことを考えはじめる。例えば、どうして人間は仕事をしなければならないのかとか、自分はこの世の中で生きている価値があるのかとか、自分は他人にどう思われているのかとか、出口のない迷路に入り込んでしまう。


                とにかく仕事をしていれば、どうして人間は仕事をしなければならないのかとか、自分はこの世の中で生きている価値があるのかとか、そういった余計なことを考えないで済む。そして何よりも、仕事をすることで人間は人生を楽しく(たまに辛いこともあるが)生きることができるのだと思う。


                新橋のリーズナブルなイタリアン料理店で会社の仲間や取引先と軽く一杯やるという行為だけでも、人間は充実感を得るものだ。そういう機会をデフレ経済はどんどん奪っていく、ひいては日本国民を不幸にするということを、政治家の方々は十分承知して,デフレ経済からの脱却を一日でも早く実現してもらいたいと思う。


                写真は、今夜の新宿駅東口。

                | red | 時事 | 18:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                  親がめと子がめ。
                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  メディアの話。


                  作家の内田樹さんはその著書『ひとりでは生きられないのも芸のうち』というエッセイ集のなかで、朝日新聞のことを書いている。内田さんは55歳になったときに、朝日新聞の購読を突然止めてしまう。理由は、紙面の質的低下が顕著なことと、どのような問題についても「正解」があり、それを読者は知らぬであろうが、「朝日」は知っているという話型に対する不快感が限度を超えたからと説明している。

                  ちなみに、この部分が載っているエッセイのタイトルは「メディアのマナーについて」である。


                  さて、週刊朝日に掲載された記事に関して、橋下大阪市長が週刊朝日とその親会社である朝日新聞の取材を拒否している。理由は、橋下氏のルーツ、育てられた記憶もない実父の生き様、当該地域が被差別部落という話について、それが橋下氏の人格を否定する根拠として、先祖、実父を徹底的に調査するという考え方に問題があるからだとしている。


                  テレビを観ていて、ビジネスマンの一人として、メディア関係者は会社のことをよく知らないなあと感じた。橋下氏は記者会見で、週刊朝日を発行する朝日新聞出版社は朝日新聞の100%子会社だから、朝日新聞にも今回の責任はあると主張した。これに対して会見場にいた朝日新聞記者は、「編集権は別」などとして、朝日新聞には責任はないと反論した。


                  記事の内容に関する議論は別にして、ここの部分だけ取り出すと、橋下市長の言い分に利がある。僕がいる会社も10社以上の子会社を持っているが、子会社に不祥事があったときは親会社の問題として対応しているし、親会社の役員をしている僕は、子会社の不祥事の際に減給処分を受けたこともある。


                  逆のことを考えてみよう。みんなが知っている大企業、例えば、トヨタ、ソニー、ホンダなどの子会社で大きな不祥事がもし起こったら、朝日新聞の記者も必ず親会社に行って、「親会社として責任をどう取るのか」と経営者に迫るに違いない。昨日、テレビ番組である元記者の方が「我々記者は、攻めることは得意だが、攻められるのは不得手だ。」と話していたが、橋下市長の記者会見場にいた朝日新聞記者の対応を見ていると、正にそうだなあと思った。


                  今回の件で朝日新聞が「知らん顔」できない理由は、「編集権」が別だとか、週間朝日と朝日新聞の考え方が必ずしも一致していないからとか、そういうことではなくて、親会社と子会社というのは「一体」と看做されるのがビジネスの世界の常識だからだ。決算の面でも、連結決算が重視されるのは、親会社と子会社を合わせた全体で見る方が、企業の決算状況がより適正に表わされるという考え方に基づくためだ


                  メディアのあり方に関する議論が多くなっているが、橋下市長に週刊朝日、朝日新聞がどのように対応するのか僕は注目している(ちなみに、週刊朝日を発行する朝日新聞出版社は、築地にある朝日新聞東京本社のビルに入っている。)。


                  さて、昨夜は会社の一般職社員の研修セミナーがあり、終了後に行われた懇親会に参加した。女性20名と僕一人。食事の後、歌舞伎町のカラオケボックスに行って大いに盛り上がった(写真は、新宿歌舞伎町)。

                  | red | 時事 | 15:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                    小さな窓、空の広さがわからない。
                    JUGEMテーマ:日記・一般



                    小さな世界の話。


                    歌手の松山千春さんに「窓」という曲があり、次のような歌詞で始まる。

                    小さな窓から見える この世界が僕のすべて
                    空の青さはわかるけど 空の広さがわからない


                    さて、昨日、東京都世田谷区で、近隣トラブルを原因とする殺人事件が起こった。犯行に及んだのは元警視庁警視の男性、86歳。一方、殺害されたのはこの男性の家の斜め向かいに住む女性、62歳。猫や殺虫剤をめぐるトラブルが以前からあり、結局、男性は日本刀で女性を切りつけ、殺害した。男性も自害して命を絶った。


                    近隣トラブルというのは別にめずらしいことではない。全国どこでも起こっていることだ。僕が注目したのは、86歳、62歳という年齢だ。詳しい状況はまだわからないが、年齢からみて多分、二人とも現役を引退し、毎日家で余生を送っていたに違いない。


                    毎日、家にいる。このことが、今回の殺人事件の遠因のような気がする。会社勤めなどをしていれば、日中は家を空けるから、そもそも、トラブルを起こす原因を作らない。毎日家にいれば、騒音、ゴミ出し、ペットのことなど、日常の些細なことで揉め事が起こる。今年6月には、同じ世田谷区で、布団を叩く音がうるさく、ホコリがくるなどとして、殺人未遂事件が発生したばかりだ。


                    「小さな窓」からは、見える世界が限られる。高齢者、それも孤独な高齢者の場合、気を紛らわす機会も少なくなり、何か問題が起こると、感情的になりやすくなるのかもしれない。老人は子どもと同じ、昔からよく言われることだが、子どもというのは一般に、社会性、協調性が乏しく、凶暴な存在である(昨今のいじめ問題に接すると、そのことが改めてわかる。)。今回の男性86歳も、殺虫剤をまき散らし、最後は日本刀(何故、日本刀があるか不思議だが。)を持ち出すなど、実に凶暴だ。


                    前回の記事でも書いたが、近い将来、人間が120歳まで生きられるようになるかもしれない。仮に70歳まで働くことができたとしても、その後の50年間は基本的に家を中心に生活することになる。そうなると、毎日毎日、ご近所の方々と顔を合わせる時間が増え、このことは同時に、揉め事が発生する機会も増えていくことを意味する。結果、今回の事件のようなことが起こる回数も増えるということだ。


                    120歳は悲劇の始まり、前回の記事タイトルであるが、昨日起きた事件は、今後起きるであろう「超長寿社会」の負の側面、悲劇を暗示している気がして仕方ない。


                    写真は、札幌ススキノ。先週、二泊三日の出張で札幌に行ってきた。昼の労働時間よりも、夜のススキノ時間のほうがかなり長かった。それにしても、ススキノは天国ですね。

                    | red | 時事 | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                      120歳は、悲劇の始まり?
                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      120歳の話。


                      世界有数の競馬、凱旋門賞で日本のオルフェーブルは2着に惜敗した。勝ったと思ったが、ゴール直前でフランス馬に差された。日本競馬界悲願の優勝は実現しなかったが、大健闘だった。ただ、改めて、世界の壁は厚いことを知った。


                      そんななか、医学界で世界の壁を突き破った日本人が現れた。ご存知のとおり、今年のノーベル医学・生理学賞に、京都大学の山中教授が選ばれた。iPS細胞、別名万能細胞の発見が評価されたのだそうだ。


                      専門的なことはわからないが、病気になった人の細胞を採取して臓器などを再生し、治療に役立てることができるのだそうだ。このiPS細胞は革命的な発見らしく、これまで受賞した日本人のノーベル賞のなかでも、傑出したレベルの受賞ということだ。


                      今朝のワイド番組はこの話題で持ちきりだったが、ある番組で、このiPS細胞の解説をしていた医療関係者の言葉が妙に気になった。治療や新薬の開発にiPS細胞が役立つことはなんとなくわかったのだが、番組のゲストが「iPS細胞で、寿命がどのくらい伸びますか?」と解説者に質問したら、「120歳くらいまで生きることが可能になるかもしれませんね。」と答えたのだ。


                      120歳。正直、勘弁して欲しいと思った。なるほど、医学に携わる人たちは、患者の治療と延命を使命にしているわけだから、人間の長寿のために尽くすことは当然の行為なのかもしれない。しかしながら、病気が治ることは良しとしても、結果的に120歳まで生きられるというのは、手放しで喜ぶべき事態なのかということは、よーく考えてみる必要がある。


                      ところで、みなさん、日本人の平均年齢(全日本人の年齢を足し合わせて、人口で割り算したもの。)をご存知だろうか。答えは、52歳。ちょうど、僕の年齢と一緒だ。ちなみに、経済発展が著しいベトナムの平均年齢は28歳と、日本より24歳も若い。ベトナムは綺麗な人口ピラミッド型になっていて、日本の高度経済成長期と同じ形だ。若い労働力がたくさんあるから、経済も元気だ。


                      少子高齢化という使い古された言葉があるが、人間が120歳まで生きられるようになると、これからは「少子超高齢化」の時代が到来することになる。もしそうなれば、いまでさえ年金、生活保護、老人福祉などの社会保障制度の維持が危うい状況と言われているのに、人生120年となれば、早晩、この制度は破綻する可能性が出てきたような気がする。持てる者だけが人生をエンジョイすることができ、そうでない者は貧しくて辛い人生を送らなければならない。もはや、格差社会などという生易しい言葉では表現できない過酷な社会の到来が現実となりつつある。


                      では、どうすればよいのか。日本の科学はノーベル賞レベルにあるのに、国民の生活を司る政治、経済のほうはどうやらノーベル賞にはほど遠いレベルにあるみたいだ。「貧しくても美しく生き」という言葉があるが、貧しさも程度問題である。夢があり、今日がんばれば明日は豊かになる、そんな時代ならこの言葉でいい。でも、経済は拡大しない、給料は上がるどころか下がってしまう、そういう現代では、この言葉はやせ我慢にしか聞こえない。


                      とにかく、経済を活性化させること、これに尽きる。その環境整備を行うのは政治家の仕事だ。しかしながら、どんなに不況でも生活には困らない政治家に、それを期待するのは無理かもしれない。では、誰に頼めばよいのか?そこが問題なのだ。


                      価値観という言葉はあまり好きではないけど、こうなったら、経済の再生はないことを与件として、生き方の価値観を見直すことも考えなければいけないかもしれない。田舎で自給自足して必要最低限の生活をする、贅沢はしない、そんな選択肢もありうるかもしれない。都会にいると、やたらとお金がいる。僕なんか、付き合いが多いから、外に出て食事をしたり、遊んだりする機会が頻繁にある。もちろん、田舎にいても人間関係、社会のルールからは逃げられないけど、都会よりは楽なような気もする。


                      結局、どうすればよいのか、僕にもわからない。ダラダラとこのまま都会生活を続けることになるのかもしれないし、ひょっとしたら、違う道を近い将来歩みだしているかもしれない。山中教授のノーベル賞受賞で世の中は大喜びだが、僕には悲劇の始まりにしか思えなかったのだ。


                      久しぶりのブログ更新で、完全に支離滅裂な文章になってしまった。どうぞ、ご容赦ください。写真は、今夜の新宿。右側に見えるのは今話題の「ビックロ」です。

                      | red | 時事 | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                        スマートフォン利用者は、スマートだろうか?
                        JUGEMテーマ:日記・一般



                        知りたがる話。


                        猛暑だった8月もあっという間に終わり、ついに9月に突入した。夕方新宿通りを歩いていたら(写真)、明らかに日が短くなっていることを実感した。僕の場合、酒量と夜の長さは正比例の関係にある。つまり、夜が長くなるにつれて、お酒の量も増えるのだ。ということで、今後、酔っ払う回数が増えていきますので、周囲のみなさん気をつけてください。


                        さて、みなさんは携帯電話(スマホ)を落とした経験はあるたろうか。おかげさまで僕はその経験がない。それどころか、財布さえ落とした経験がないのだ。いくら酔っ払っていても、その辺は大丈夫なのだから不思議といえば不思議だ。ところでみなさんは、他人のスマホを偶然拾ってしまったとき、どのような行動を取るだろうか。


                        今日発売になった週刊東洋経済に興味深い記事が出ていた。昨年5月、世界的なセキュリティ会社であるシマンテックが面白い実験を行った。それが、スマホを拾った人がどのような行動を取るかを調べる実験だったのだ。


                        アメリカのニューヨークやサンフランシスコなどの町中にスマホ50個を置き、それを拾った人がどうするかを調べた。結果はどうだったと思いますか?なんと、50人のうち44人が、個人情報と関連するアプリケーションを開き、うち35人は個人情報を閲覧したのだ。


                        一方、昨年、日本の警察庁が受け付けた携帯電話の紛失届けは28万件あったが(多いねえ。)、拾得物届出のほうは僅か5%程度に留まった。つまり、携帯電話を紛失すると見つかる確率はほぼゼロに近く、拾った人が個人情報をしっかり見ている、そう考えざるを得ないのが現状というわけだ。


                        もし、僕が誰かの携帯電話を拾ったら、間違いなく警察に届けると思う。操作方法をよく知らないというのもあるが、本来僕は、他人の個人情報にあまり興味がないのだ(エロス情報だけは関心があるが。)。会社で人事も長年やっているが、良いか悪いかの議論はあるかもしれないけど、正直言うと、社員のことを深く知ろうという気持ちはあまりないのだ。


                        以前、人の過去にあまり関心を持ちすぎるのは如何なことかと書いた(http://iroero.jugem.jp/?search=%C0%F5%C5%C4%BC%A1%CF%BA)。このスマホ実験の結果や、警察庁の携帯電話の紛失・拾得の届出状況を見ると、他人の過去や現在に関する情報を多くの人が知りたがっている現実を、改めて知らされた感じがした。最後にもう一度書くが、知りすぎるというのは、決していいことではないと思うが、如何だろうか。

                        | red | 時事 | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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