人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      この世は辛い。

      JUGEMテーマ:日記・一般


      この世の話。



      グアムで日本人が3人殺害されたが、本当に気の毒だと思う。僕はグアムに行ったことがないので知らなかったが、グアムに来る外国人観光客のほとんどが日本人なのだそうだ。飛行機に乗って3時間程度で行ける気軽さと、治安の良さがグアムの魅力らしい。



      世の中には本当に辛いことが多い。その最たるものが東日本大震災かもしれないが、今この瞬間、直下型大地震が関東で発生して、僕が一瞬にして命を落とすことだってあり得るのだ。人間がいつ死ぬかなんて誰にもわからないのだ。



      私事で恐縮だが、僕の父は僕が30歳のときに急死した。高血圧を患ってはいたが、入院はせず普通に生活していた。父が急死したことは、会社の総務部の方から聞いた。翌日、僕は東京を発ち、釧路の自宅に到着するまでの間いろいろなことを想像し、考えたが、不思議と涙は出てこなかった。



      自宅で父の遺体と対面したとき、目頭が一瞬熱くなったことはあったが、号泣することはなかった。それよりも「人間はいつか死ぬ」という当たり前のことを僕は何度も何度も胸のなかで確認していたように思う。



      僕はどちらかというと涙もろいほうだと思う。テレビや映画の人情モノを観てボロボロ泣くことも多い。でも、人の死については不思議と冷静な気がする。この世は辛いことばかりだと説く宗教があるが、まったくそのとおりだと思う。



      生老病死という言葉があるが、この言葉どおりに死ぬことができる人間はまだ幸せなほうで、この世に生を受けてまもなく死んだり、また、老いる前に若くして人間は死んだりするのであるから、この世は本当に辛いことばかりなのである。



      人間はいつか死ぬのだから、その前に「死に方」を考えようと言う人がいるが、こういうのは僕はよくわからない。いまのところ深刻な病気がなく生活しているからかもしれないが、僕は基本的に面倒くさがりやで、なるようになるさタイプなので、どう死ぬかなんて考えたくないし、考えても仕方ないような気がする。



      今日はなんか変な話になったが、ご容赦願いたい。写真は、倉科カナさん。日曜日のドラマ「dinner」でイタリア料理店の支配人を演じている。彼女のこと知らなかったけど、ドラマを観てファンになりました。


      | red | 雑感 | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        これが私の生きる道。
        JUGEMテーマ:日記・一般



        大晦日の話。


        今年も今日一日を残すばかりとなってしまった。僕は今年も北海道に帰省せずここ東京で新年を迎える。さて、来年は巳年。株式相場の世界では「辰巳天井」という格言があり、実際、今月28日の大納会は13年ぶりに終値で年初来高値を更新して終了した。格言どおりにいけば、巳年の来年は一段の株高が期待される。


        巳年はへびどしとも言われ、ご存知のように、古来からへびは商売繁盛や金運を招く縁起のよいものととれてきた。そうなると、来年の景気回復への期待がいやが上にも高まるというものだ。


        ところで、大晦日といえば、紅白歌合戦。といっても、僕は観ていないけど、今日は家庭団欒、紅白を楽しみにしている方も多いはず。でも、最近の紅白は放送時間がちょっと長すぎるような気がする。昔は3時間弱だったが、今は4時間半くらいに伸びている。こんなに長時間だと正直、飽きるよね。


        人間は飽きっぽい動物だと思うけど、この頃は一層飽きっぽくなってきた気がする。飽きっぽいいうことと切れやすさということは、どちらも辛抱が効かないという点で同義だと思うけど、子どもが切れやすくなったということはかなり前から指摘されている。でも、切れやすくなったり飽きっぽくなったりしているのは子どもばかりではなく、大人も同じなのではないだろうか。


        好き嫌いが激しい世の中なのかもしれない。いろいろな考え方や価値観があっていいと思うけど、譲ったり、妥協したり、ぐっと堪えて折り合うという精神が希薄化してしまった感じがする。今回の総選挙では、14もの政党が立候補者を擁立したが、自分たちの主義主張を譲らず、好き嫌いを鮮明にしていくと、まとまるものもまとまらなくなるという典型事例になってしまったような気がする。


        さて、僕は正直言うと、世の中はお金ばかりじゃないと思うけど、かといって、世の中、心の豊かさだけあればそれでよいといった精神論だけで生きていけるものでもないと思う。経済的なことも精神的なことも、どちらも人間にはある程度必要に違いない。そのどちらがより重要で、そのどちらが先にあるものなのか、それはよくわからないけど、僕のこれまでの経験からすると、ある程度の経済基盤を整えることが現実には先のように思う。


        もうそうであるのなら、やはり、国民の生活水準を上げること、もっと簡単に言えば給料を上げていくことが急務だと思う。そのためには会社が儲からなければいけない。そのための政策を新政権は推し進めるというのであるから、そこは是非期待したい。ところが、世の中にはいろいろな人がいるもので、新政権の経済政策を批判する専門家も少なくない。日本が沈没しても構わないというなら別であるが、もしそうでないのなら、景気回復のために専門家は理屈ばかりこねないで建設的な行動を取るべきだと思う。


        支離滅裂になってきたが、今年最後なのでもう少し付き合っていただきたい。政治的な話はあまりしたくないが、尖閣問題についていえば、残念ながら日中の歩み寄りはなかなかみられない。日本の新政権発足後中国が「日本は歩み寄って問題解決を図るべき」と言えば、安倍総理は「尖閣は議論の余地なし」と応酬する。先ほども書いたが、問題解決の方法はお互いが譲ったり、妥協したり、ぐっと堪えたりすること以外にない。


        日本側がいくら「議論の余地なし」と言っても、現実問題として国家間の問題、それも相当な重みのある問題になっているのであるから、常識的には議論しなければならない。中国にしても、いつも自分たちだけが正しいとする中華思想はこの際捨てて、交渉のテーブルにつくべきではないだろうか。同様のことは竹島問題にも言えるが、いずれにしろ、どんな歴史的経緯経過があるにしろ、問題は厳然として今存在しているわけであるから、お互いヒステリックにならずに冷静に議論したらどうだろうか。


        今から3年前、当時の鳩山首相は北京で中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領と三者会談を行い、鳩山首相が提案する「東アジア共同体構想」を説明し、協力を求めたが、成果はなかった。アジアは一つと叫んでみても、実際のところ、個々の国家は地理的に近いということはあっても中味のほうは大分異なっていて、一つになりきれないのが実情だ。


        一昨年亡くなられた文化人類学者の梅棹忠夫さんが著された『文明の生態史観』によれば、同じアジア人といっても、感覚的、観念的には同質かもしれないが、論理的、実質的には同質ではないとして、アジアが一つになることの難しいさを指摘している。さわさりながら、国家間の経済境界線がほとんどなくなってしまった現在、現実的にはもう後戻りできない状況になっているのであるから、各国はなんとか政治的な落としどころを見つけていく努力をしてほしいと思う。


        梅棹氏は同書で、日本という国は世界的にも独自の文明、文化を持つ国だと分析して、日本という国の特異性についても述べている。それでは、そんな日本の生きる道とはどんなものなのだろうか。前政権の民主党は「コンクリートから人へ」を掲げて政権を担ったが、ご存知のように惨めなかたちで政権を去った。そもそも、「コンクリートから人へ」のスローガン自体が間違っているような気がする。この世の中、コンクリートも人も、両方必要なのである。コンクリートの代表選手である公共工事を大幅に減らしたおかげて不景気は加速したし、一方、だからといって政権が人に特別優しく対応したのかといえば、ほとんどそういうことはなかったのではないだろうか。


        まあ、過去のことは忘れるとして、今後どうするべきか。復興も含めた、公共事業への投資は早急に実施してもらおう。なんだかんだといっても、公共事業は世の中にお金を流通させる最も手っ取り早い手段だからだ。しかしながら、公共事業だけでは長期的には経済は伸びない。なぜなら、高度経済成長の再来は今後は極めて難しいからだ。そこで僕が提案したいのは、ある意味、公共事業とは正反対に位置する事業への投資だ。それは一言で言えば、日本文化への投資だ。


        僕はテレビ好きなので、新しい情報はほとんどテレビから得るが、この頃感じることは、日本文化が海外で相当評価され、人気があるという事実だ。例えば、昔からあるもので言えばアニメーション、漫画、ゲームなどがある。これに関連してコスプレも人気だという。そのほかでは、日本食が外国人に大人気だという。海外の寿司屋、居酒屋などは現地の人たちで大賑わいだ。ロンドンでは、漢字が書かれたTシャツが流行っているらしい。漢字自体に神秘性があるという。


        ファッションもある。原宿、渋谷などで流行する奇抜なファッションはまたたくまにアジア各国に伝播する。歌もある。AKB48は台湾、中国などでも大人気だという。その他、絵画、ダンスなどもある。そして、忘れてはいけないのが、文化というより科学の分野かもしれないが、研究開発への投資だ。山中教授が今年ノーベル賞を受賞したが、ある話によると、彼の研究は事業仕分けで研究費が出ない可能性もあったという。


        日本文化や得意とする科学分野への投資もおこなうことで、日本の存在感を世界に示し「これが日本の生きる道」の方向感を明確に示して欲しいと思う。


        とりとめのない文章になってしまった。もう終わりにする。写真は、新宿駅西口。小田急ハルクのあたりから撮ったもの。ユニクロは今や世界的企業に成長した。この商法も日本のオリジナリと言えるかもしれない。


        みなさんが、健康で新年を迎えてくださることを祈念して、今年のブログは終了したいと思います。red

        | red | 雑感 | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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          人は見た目です?
          JUGEMテーマ:日記・一般


           
          見た目の話。


          僕は会社で人事も担当していて、新入社員や中途採用社員の面接をこれまでたくさん行ってきたが(もっとも、ここ数年新卒採用はしていないが。)、採用の難しさをいつも感じている。


          人は見た目ではないとよく言われるが、正直、見た目も重要な気がする。見た目には顔のほかに身なりも含まれる。僕は、経歴書に書かれている字の上手い、下手も気になる。もちろん、経歴が適性判断の最も大切なポイントだと思う。2、3年に1回の割合で転職しているようであれば、職場でトラブルを起こす傾向があるのではとか、辛抱がきかない人なのではと思ってしまう。


          養老孟司さんのエッセイに次のような話が紹介されている。戦時中、空軍のパイロットがどんどん死んでいく。補充しなければならないので、誰がパイロットに向くか軍隊が適性を調べるのだが、なかなかうまくいかない。そこで、よく当たると評判の人相見に若い兵隊を順繰りに見せたら、それが結局一番よかった、当時の参謀がそう回顧していたという話だ。


          人の適性を短時間で見抜くことはなかなか難しい。上の話の人相見は、若者がイケメンだとかブサイクだとか、そういう表面的なところを見たわけではなく、人相学に照らして、目、鼻、口、耳などをつぶさに見てパイロット向きの者を選んだに違いない。いずれにしろ、人の顔にはその人の持つ特徴、性格などか知らないあいだに表出しているのだろう。


          さて、尼崎連続変死事件の角田容疑者が留置所で自殺した。事件の全容解明が遅れることが懸念される。ところで、テレビでよく出てくる角田被告の写真を、みなさんはどんな感想を持って見ていただろうか。あの写真だけ見ると、「いじわるな顔」「悪党面」、そんな感じではなかったろうか。僕も正直、そう感じた。


          人は見た目ではないと言われるが、実際にはやっぱり見た目もあるような気がする。でも、人は見た目だよねと言い切ってしまうと、世の中がおかしくなってしまうから、大きな声でみんな言わないだけだろう。「そういうお前は、どんな見た目なんだ」と言われそうだが、自分の見た目は周りの方から評価をいただくしか方法がないので、みなさんに判断を委ねたい(きっと、エロ顔に違いない。)。


          新しい写真がないので、先日京都で撮った紅葉を掲載します。あしからず。

          | red | 雑感 | 11:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            雑穀の主食と、海藻入りの味噌汁。世界一です。
            JUGEMテーマ:日記・一般



            食べ物の話。


            世界で最も理想的な食事は、雑穀を主食とし、海藻の入った味噌汁、旬の野菜と近海で捕れる魚を副食とする江戸時代の日本の食事である。


            これは、1977年、アメリカのフォード政権のときに作成された、食事と健康・慢性疾患に関する「マクガバンレポート」の結論部分だ。当時アメリカでは、心臓病が死亡原因の第一位で、これに係わる医療費だけでも25兆円を超えていて、財政を圧迫していた。


            この状況を打破するために医療改革を進めようとしたアメリカは、世界中から医学、栄養学に関する専門家を集め、7年にわたる歳月と数千万ドルの国費を投入して、食事と健康・慢性疾患に関する調査を行った。出来上がった報告書は5千ページを超えるもので、そのなかで、世界で最も理想的な食事は元禄時代以前の日本の食事であると結論付けられたのである。


            さて、肥満などを原因とした疾患はアメリカにとどまらない。北欧のデンマークは昨年、国民の健康増進を目的に、バターなど一定の飽和脂肪酸を含む食品に税金を課す「脂肪税」を導入した。要は、肥満を抑えるために、脂肪分の少ない食事を国民に普及させようとしたのだ。


            ところが、課税したおかげで食品の価格が上昇してしまい、国民は安いバターなどを求めて隣国のドイツで買物をするようになり、結果、課税のメリットがほとんど無くなってしまった。デンマーク政府は結局、「脂肪税」を撤廃することになった。


            1971年7月、日本マクドナルドの一号店が銀座にオープンした。これを契機に、日本人の食生活が変わったことは誰でも実感するところだろう。世界で最も理想的な食事は昔の日本の食事とアメリカで発表されたこと、日本ではハンバーガー文化が若者を中心に確実に広がりを見せていたわけだ。


            ハンバーガーなどの脂肪分の高い欧米型の食事を止め、昔の日本の食事を見直そうというのはたやすいが、現実はなかなかそう簡単ではない。デンマークの「脂肪税」の話からもわかるように、現代人は美味しさの詰まった脂肪分たっぷりの食品からなかなか離れられないのが実情だ。


            僕は今年になって、体重を意識的に落とした。年初からみると5キロくらい落ちて、ずっとその水準をキープしている。おかげで、ズボンのサイズが一つ小さくなった。でも、好きな酒はガンガン飲んでいるし、肉も食べている(僕はどちらかというと、肉食系だ。)。ただ、気をつけていることが一つだけあって、それは、食べ過ぎないということだ。


            僕は単純人間だから、食べれば太るし、食べなければ痩せる、ただそう思って体重をコントロールしている。したがって、ダイエット本なんて一冊も読んだことはないし、通販でダイエット食品を買ったこともない。食べたいものは食べる、でも食べ過ぎない、そうすれば肥満になることもないし、痩せることもできると思うのだが、如何だろうか。


            写真は、007シリーズ「ロシアより愛をこめて」のボンドガール、ダニオラ・ビアンキ(僕は、歴代ボンドガールのなかで一番美人だと思う。)。007最新作「スカイフォール」が北米で人気らしい(日本公開12月1日)。

            | red | 雑感 | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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              予知、予想、予測。
              JUGEMテーマ:日記・一般



              予知の話。


              僕は年に数度、競馬をやる。一時期、毎週のように馬券を買っていたが一向に当たらないので、ギャンブルは自分には向いていないと悟り、今は、有馬記念とか天皇賞などの大きなレースのときだけ1万円以内で馬券を購入している。それでも、的中するのは年に一度あるかないかの世界だ。


              競馬は予想ゲームだ。多くの競馬専門家は膨大なデータを解析して勝ち馬を割り出すわけだが、毎回的中させることのできる専門家は皆無だ。専門家というのは、レース前の解説も、そして、外してしまったレース後の解説も、どちらも雄弁に語るものだ。でも、予想が外れたからといって専門家を攻めたり、ましてや脅したりする競馬ファンはいない(なかには、いるかもしれないけど。)。


              さて、イタリアの裁判所で先日、3年前に同国で発生した大地震の際に、地震予知に失敗したとして、科学者ら7名に禁固6年の実刑判決が言い渡された。裁判で検察側は、地震発生前に小さな揺れが続いていて、これは典型的な地震活動の兆候であるにもかかわらず、科学者らは適切な予知をできなかったと指摘した。


              弁護士側はこれに対し、地震は予測できるものでもなく、仮に予測できたとしても、地震を食い止めることはできなかったと反論した。この判決に関して世界の科学者たちは、「科学者が萎縮する」「地震学に携わる人材が少なくなる」などとして批判しているという。


              昨年の東日本大震災でわかったことは、地震予知はできないということだと思う。でも、だからといって、予知の研究はしなくてもかまわない、ということにはならない。自然科学というのは、過去の経験とかデータにもとづいて一定の法則性を見つけていく作業のことだから、その努力は続けなければならない。


              そもそも、自然の力の前では人間の叡智なんて全く力が及ばないのかもしれない。人間の解明できることはせいぜい人間のこと、そう結論付けたいところだが、昨今報道されている例えば尼崎の事件なんかみていると、同じ人間のことさえ理解できなくなってしまった、そんな時代になった気がして仕方ない。


              写真右は、ミス・インターナショナルで優勝した吉松さん。見た目だけだと、個人的には左側です。

              | red | 雑感 | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                勝つこともなく、負けることもなく。
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                 引き分けの話。


                あまり政治的な話は好きではないけど、たまにはいいだろう。今日は、領土問題の話。日本の領土に関してはご存知のように、中国ともめている尖閣諸島、韓国ともめている竹島、そして、ロシアともめている北方領土の大きく3つの問題がある。といっても、尖閣諸島については「領土問題はそもそも存在しない。」と日本政府は強弁しているが、現実には日中間でもめているのだから、客観的にみて「領土問題はある。」のである。


                領土問題については、いろいろ意見があるだろう。今発売中の「文藝春秋」にも、ナルホドと思わせる記事がいくつか載っている。評論家の立花隆さんは竹島、尖閣諸島に関する歴史的な事実経緯を踏まえた上で、「現状維持」、つまり、領土問題が存在することを日韓、日中が認識したうえで、お互いを刺激し合わないことが肝要だと言っている。


                もう一つは、作家の塩野七生さんの記事。竹島や尖閣で衝突が起きてしまった今、心すべきことが二つあると塩野さんは指摘する。一つは、早急な解決を期待しないこと。もう一つは、軍事力を使わないことである。とはいって、弱腰外交で臨めと言っているのではなく、領土問題解決に関する新しい「哲学」を世界に示すべきというのだ。


                哲学とは例えば、領土問題については10年間凍結するとことを世界に宣言し、その間、韓国、中国などと密接な経済関係を構築し、「雪解け」を待つという方法だ。塩野さんの提案はなかなか面白いと僕は思う。


                僕は釧路生まれなので、北方領土というのは小さい頃から身近な存在であった。でも、子どもの頃は単純に、「日本の固有の領土である北方領土は、ロシア(当時はソ連)に奪われた。だから、ロシア人は悪い人たちだ。」くらいにしか思っていなかった。


                北方領土について日本政府は「4島一括返還」を方針としている。昔、森内閣のときに、とりあえず歯舞群島・色丹島の「2島先行返還」で行けそうな場面もあったが、「4島一括返還」の国是の前に実現できなかった。


                作家の佐藤優さんが書かれた『人間の叡智』に、今年二度目の大統領に選ばれたロシアのプーチン大統領が、北方領土問題について「われわれは受け入れ可能な妥協を達成しなければならない。それは<引き分け>のようなものだ」と発言した話が紹介されている。柔道家で、親日とされるプーチンは日本語で<引き分け>と言ったのだ。


                領土主権を主張して戦え、そう強気な発言をする方々もいるが、気持ちはわかるが、問題が一層こじれるだけのような気がする。「現状維持」「引き分け」というのは一見、問題の先送りのような感じもするが、長い時間軸のなかでは、それらも問題解決の一方法だし、佐藤優さんの言葉を借りれば「人間の叡智」かもしれない。


                写真は、女優の深田恭子さん。タウンワークのCMを初めて観たときに誰かわからなかったが、調べてみたらフカキョンだった。それにしても、大人っぽく、そして綺麗になった。

                | red | 雑感 | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                  アウト、セーフ、よよいのよい。
                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  判定の話。


                  興奮と感動のロンドン五輪が終わった。感動シーンは人によってそれぞれ違うと思うが、僕は、女子バレーの銅メダル獲得が一番よかったと思う。銅メダルを決めた韓国との3位決定戦ももちろん素晴らしかったが、それ以上に、4強をかけて戦った中国戦の死闘は涙なしには観られなかった。


                  一方、何か変だなあと思ったのは、やはり、柔道男子66キロ級の「逆転旗判定事件」だったのではないだろうか。一旦は韓国選手を勝利とする青旗が3本挙がったが、審議の結果、今度は日本選手を勝利とする白旗が3本挙がってしまったのだ。この逆転旗判定には、勝ったほうの選手も負けたほうの選手もともに困惑の表情だったのが印象的だった。


                  この「事件」が起こった理由は、ジュリーと呼ばれるビデオ審判員の存在だ。マット下で3人のジュリーが、審判の判定に間違いがないかをビデオを見ながら監視しているのである。レスリングでも、審判の判定に不服があった場合、「チャレンジ」と書かれたスポンジをマットに投げ込んで、ビデオ判定を1回に限り求めることもできるというルールがあることも今回知った。


                  要するに、審判は誤審するかもしれないから、クレームがあったときはビデオを観て確かめましょうというわけだ。日本のプロ野球でも、ホームランの判定についてはビデオ判定が部分的に導入されている。しかしながら、サーカーには今のところ、ビデオ判定は導入されていない。スピード感が醍醐味のサッカーで、いちいちビデオ判定をやっていたら、試合が面白くなくなるということがあるからかもしれない。


                  かなり昔の話であるが、プロ野球の試合で審判の判定について監督が抗議をした際に、主審が「俺がルールブックだ。」と言って抗議を退けたという有名な話がある。この同じ審判はまた、別の試合で、ホームベース上でのクロスプレーでアウトの判定をしたが、翌日の新聞で、キャッチャーが走者にタッチしていない様子が写し出された写真が掲載された際に「写真が間違っている」と述べた逸話も残している。


                  結論から言うと、ビデオ判定はしてほしくない、僕はそう思う。公正を期す観点から、ビデオ判定を支持する人がいるが、誤審もスポーツのうち、冷たい言い方かもしれないが、誤審で破れた人は、それも自分の宿命として受け入れることではないかと思う。血の滲む練習してきた選手にとって誤審は辛いことだと思うけど、スポーツにはスピード感、流れといったものがあるので、その大切な部分をビデオ判定で損なわないでほしいと思う。


                  また一方で、審判の質を向上させる取り組みも必要だと思う。「あの人の下す判定ならどんなものでも従う。」、そう選手たちから信頼される審判が現状、いないのだと思う。ビデオといった精密機械に頼るのではなく、経験と試合を見る確かな目、こういったものを兼ね備えた信頼される審判にすべてを委ねる、それがスポーツのような気がする。


                  写真は、昨夜の神宮球場。暇だったので、夕方、阪神・ヤクルト戦を観てきた。暑かったので、ビールもすすんだ。試合が終わる頃には、ほろ酔い気分になっていた。

                  | red | 雑感 | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                    柔とは、柔らかいこと。
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                    JUDOの話。


                    美空ひばりの歌に「柔」がある。その冒頭の歌詞は「勝つと思うな 思えば負けよ 負けてもともと この胸の」である。この歌詞の解釈についてはいろいろあるかもしれないが、僕は「負けることを恐れないで戦え、負けてもともとなのだから」という意味ぐらいに解釈している。


                    ロンドン五輪が盛り上がっているが、卓球、バドミントンなどが戦前の予想を超える活躍を見せたのに対し、日本のお家芸とされる柔道、特に男子については、期待された結果が得られなかったのではないか。


                    今朝、あるバラエティー番組で、柔道男子で銅メダルを獲得した選手の両親にレポーターが「銅メダル、おめでとうございますと。」と祝意をあらわしたら、母親の方が「銅メダルで、おめでとうと言って欲しくない。」と対応したのを見て、さすがの僕も違和感を覚えた。


                    多分であるが、この銅メダルを獲得した選手もその両親も、小さい頃から五輪で金メダルを獲ることを最大目標にがんばってきたのだろう。だから、金メダルじゃないと喜べない、そういう気持ちがこの母親の言葉になったのだと思うけど、気持ちはわかるけど、「おめでとう。」と言われたら、心中はいろいろあっても「ありがとうございました。」と対応すべきだったのではないだろうか。


                    柔道は日本で生まれた、だから、日本人が金メダルを獲って当然、このような脅迫観念が今回の結果につながったように思えて仕方がない。柔道でも、JUDOでもいいけど、JUDOは今や世界中の選手が取り組む国際スポーツになっている。世界の人たちは本家・日本の柔道に学び、それを超えようと研究、努力している。そうなれば、JUDOのスタイルのようなものが、日々変化、多様化することは容易に想像できる。


                    日本人が世界の選手に負けたということは、世界に日本が学ぶことがたくさんあるということだ。釈迦に説法、日本柔道界の指導者の方々はそのことは百も承知されているのだと思うけど、自ら課した常勝日本という重い十字架を取り払い、「負けることを恐れないで戦え、負けてもともとなのだから」という精神で、柔道日本の復活を期してほしいと思う。


                    素人の戯言かもしれないけど、ときには素人、第三者のほうが冷静に考えることができると思うので、書いてみた。


                    写真は、なでしこジャパンと決勝で対決するアメリカの主砲、ワンバック選手のヌード。この肉体となでしこは激突するのだ。

                     

                    | red | 雑感 | 08:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                      無駄なのは、遊んでいるのは、会社ではありません。
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                      効率の話。


                      三連休初日の14日、仕事で札幌に行ってきた。夜は当然の如くススキノで一杯やったのであるが、北海道も今年は節電の夏と言われているわりには、歓楽街ススキノにはそんなムードは一切なく、いつものようにネオンがきらきらと輝いていた。


                      さて、ヤフーニュースに、あるビジネス雑誌の記事が掲載されていて興味深く読んだ。タイトルは「なぜ効率ばかり追求すると利益が減るのか。」。効率ばかり追求するのは誰かというと、それは日本企業である。つまり、日本企業は効率ばかり追求しているので、革新的な製品などを生み出せない、これが記事の趣旨である。


                      では、どうすればよいのか。記者は、脱マニュアル経営で急成長しているアメリカの靴通販メーカーの例を挙げている。オペレーターはマニュアルを持たずに顧客と自由に会話をして、ときには1件の注文を受けるのに6時間を費やすこともあるという。この一見無駄とも取れる経営手法が、全米を熱狂させていると記者は紹介する。


                      記者はまた、革新的な商品やサービスを生み出すのは、従来型のエリートではなく、異端児だと指摘する。1日中イヤホンを耳に突っ込んで音楽を聴いている奴。いつも外回りと称して社外をうろついてばかりいる奴。仕事はろくにしないのにフェイスブックの友達の数が異様に多い奴等々。こういう社員が将来会社に大きく貢献できる可能性があり、彼らのような社員をどのくらい抱えることができるか、そこに企業の未来はかかっている、記者はそう結論する。


                      まあ、一理ある、と僕も思う。記者の言うように、「無駄」「遊び」といった非効率的な部分が企業にあっていいと思うし、むしろ、あったほうがいいのかもしれない。僕の働いている会社でも、30年前には、海外語学研修と称して、オーストラリアで3か月間「遊ばせてくれる」制度があった。僕はたまたまその第一号となったが、この制度は数年でなくなってしまった。


                      はっきり言えば、今の日本企業には、無駄や遊びを許容する余裕がないのだと思う。いつかは花が咲くだろうと信じて、無駄と思えることにお金を使ったり、社員を遊ばせておく、そういうことがしたくても出来ないのが、今の日本企業の状況なのではないだろうか。とにかく、明日、明後日には成果が欲しい、そんな時間に追われるように日本企業は経営しているような気がする。


                      しかしながら、無駄や遊びといった非効率的な部分を持とうとしても、企業の自助努力には限界がある。ならば、日本経済全体を盛り上げ、成長させていく、そういったマクロ的な視点から手を打つ必要がある。そんな状況のなかで、消費税を上げることは、消費全体を冷やして企業業績を圧迫することは明らかだし、もしそうなれば、日本企業はますます効率性だけを追求することになってしまう。


                      経済を生かすも殺すも、政治次第である。経済は政治とは別のレベルで動いていると考えている方もいるかもしれないが、我々の生活が政治と密接に係わっているように、経済も政治と表裏一体の関係にある。企業が儲かり、社員の給料が上がり生活が豊かになる、これが政治の役割だと思うが、日本企業に無駄や遊びはないが、皮肉を言わせてもらうと、「無駄な政治」「遊びの政治」が今の日本にはある、そう言われても仕方ないのではないだろうか。


                      写真は、新千歳空港に行くといつも撮ってしまう、北海道地酒のラベル集。国士無双という勇ましい名前のラベルがあるが、これは旭川市で作っている地酒です。

                      | red | 雑感 | 14:55 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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                        優先席の優先もやっぱり優先席?
                        JUGEMテーマ:日記・一般



                        席の話。


                        先月下旬に会社の株主総会が終了してから、虚脱感、解放感といったものが入り混じって、正直、ボーッとしていた。テレビは相変わらず観ているが(こちらも、ボーッと観ている。)、本や雑誌は全然読んでいない。こんな状況ではいけないと思い、緊張感を高める意味からも、ブログを久しぶりに更新することにした。


                        さて、数年前、横浜の伊勢佐木町に行ったときに、初めて横浜市営地下鉄に乗った。いつものようにドア付近に立って、車内の掲示物などを見ていたら、横浜市営地下鉄は全席優先席です、そう書かれた注意書きを発見した。


                        中央線や山手線を利用することが僕は多いが、ご存知のように、お年寄りや身体の不自由な方々を対象にした優先席は、各車両の端に少しだけ設けてある。これに対して横浜市営地下鉄の場合は、すべての席が優先席だというのだ。


                        車内にわざわざそういうことが書かれていると、お年寄りなどが車内にいなくても、座りにくいものだし、また、疲れていてたまには目をつむって眠りたいと思うときもあるが、全席優先席だと、緊張して迂闊に眠ることも出来ない。


                        全席優先席ですと書くことに、僕は違和感を持った。お年寄りや身体の不自由な方々に席を譲るというのは、たとえ優先席ではなくても行うべきことであり、これはモラルとして普通の人であれば理解できることである。したがって、なすべきは「お年寄りや身体の不自由な方々に席を譲りましょう。」という啓蒙であって、「全席優先席です。」と半ば強制、脅しのような注意書きは如何かと僕は思う。


                        その横浜市営地下鉄に、「ゆずりあいシート」という席が今月下旬から設置されるという。ただ、全席優先席の実施はこれまで通りだと言う。


                        「ゆずりあいシート」を設置する理由は、全席優先席システムがなかなか機能していないからだという。横浜市交通局が昨年実施したアンケートで、「席を譲ってくれた」と回答した高齢者が約半数にとどまったのだ。このアンケート結果を受け、優先席に更に優先する「最優先席」として「ゆずりあいシート」を設置することにしたらしい。


                        そういうことではないような気が僕はする。「最優先席」でも「特別優先席」でもなんでもいいのだが、席を単に色分けすることだけで、モラルの問題は解決しない。モラルのことは気長に考えなくてはいけない。無駄な作業に思えるかもしれないが、横浜市はしつこと啓蒙活動を続けるしかないし、学校、家庭、地域などは社会全体でそれをバックアップするということではないだろうか。


                        ある専門家は、モラルには限界があるとして、横浜市の今回の措置を支持しているが、お年寄りなどに席を譲る率を本気で100%にしたいと考えているのなら、お年寄りになどに席を譲らなかった乗客に対して罰を科すしかないのではないだろうか。そんなことって、できるわけないし、そんなことを許す社会は異常というか、不健全である。


                        写真は、浅草のホテルから撮った東京スカイツリー。

                        | red | 雑感 | 11:41 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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