人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      沖縄、秋に泣き冬に耐える。
      JUGEMテーマ:日記・一般



      沖縄の話。


      僕がたまに行く新宿歌舞伎町のバーに、BEGINの「三線の花」を上手に歌うマスターがいる。カラオケの画面をじっと見つめていると、間奏のときにゆったりとした沖縄独特の踊りが映し出される。


      ♪ 喜びも悲しみも  いつも日か唄えるなら
        この島の土の中  秋に泣き冬に耐え
        春に咲く  三線の花


      この歌詞の部分になると、僕の胸はなぜかぐっと熱くなる。


      さて、画家の岡本太郎さんが著した『沖縄文化論 忘れられた日本』に、過酷な税の取り立てに苦しめられていた沖縄のことが書かれている。年貢はもちろんのこと、海産物、船具なども物納税として納めさせられたと言う。


      厳しい税の取り立てに苦しむ沖縄の地に、文化や芸術が育む余地はなかったが、ただ、歌と踊りだけは別だったと岡本さんは指摘する。想像するに、歌ったり、踊ったり、そして酒も大いに飲まなければ、辛くてやっていられなかったのだと思う。


      沖縄県の仲井真知事は、県内で起きた米兵2名による少女暴行事件に対する抗議と基地問題の抜本的解決を求めるために、米政府高官と会談した。少女暴行事件については遺憾の意が示されたが、基地問題の抜本的解決については明確な回答が得られなかった。


      オスプレイを含めた基地問題、米兵による暴行事件など、沖縄は他の都道府県とは明らかに異質な問題を抱え込んでいる。沖縄返還から今年で40年になるが、日本政府に対する県民の怒りは今ピークに達しているような気がする。何を言っても日本政府には通じない、暖簾に腕押し、どうすることもできない、そんな虚無感を覚えている県民も多いのではないだろうか。


      ここまでくると、沖縄が返還されて本当に良かったのかなあとさえ思う。今から元に戻るということは現実的にありえないけど、もし道州制になったら、沖縄は完全に単独の州として、独立した外交権のようなものを持たせることを検討してもいいような気がする。一国のなかで外交が一元化されていないのはもちろん変なのだが、上手く表現出来ないが、沖縄だけは何か特別な存在のような気がするのだ。


      沖縄は軍事戦略上重要な場所とされているので、沖縄からアメリカ軍が撤退したり、道州制にともなって独自の権限が拡大したりすると、近隣諸国が忍び寄ってくるという危険性はある。いずれにしろ、日本政府として、沖縄をどう位置付けていくのか、そういう根っこの議論を一度きちっとする必要があるのではないだろうか。


      さて、今夜は久しぶりに銀座で飲み会をやった(写真)。♪銀座、銀座、銀座、たそがれの銀座〜。

      | red | | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        また逢う日までは、オリジナルバージョンで。
        JUGEMテーマ:日記・一般



        音楽の話。


        久しぶりの更新。ブログは、調子のいいときは毎日のように書けるけど、気持ちが乗らないと全く書く気になれないものだ。先週は例によって毎日のように飲み会があったこともあり、書くチャンスがなかった。


        ということで、今日は音楽に関する話。先日、歌手の尾崎紀世彦さんが亡くなられた。尾崎さんといえば何と言っても「また逢う日まで」だろう。僕もカラオケでたまに歌うが、尾崎さんの声量を真似ることは到底できない。彼はトム・ジョーンズを意識したのではないかと僕は思っているが、いずれにしろ、彼の歌唱力はずば抜けていた。


        後年、歌謡番組で年配になられた尾崎さんの「また逢う日まで」を聴いて、「あれっ?」と思ったことがあった。そう思った理由は、多少のアレンジが入ってオリジナルとちょっと違うなあと感じたからだ。往年の声量、高音が出なくなったこともあったのかもしれないが、僕は正直、ちょっと残念な気もした。


        昔流行った曲を、「○○○2012バージョン」といった感じで今風にアレンジして改めて発売するということがある。だが、「2012バージョン」のほうがオリジナルより良いというケースはほとんどないように僕は思う。歌謡曲でも映画でも、われわれが一番聞きたい、観たいと思っているのはいつもオリジナル版であって、今風アレンジ版とか、リメイク版というのは、オリジナル版のパワーの前ではいつも敗者のような気がする。


        最近、他人の曲をカバーすることが流行っている。カバー曲だけで、アルバムを発売している歌手も結構いる。プロの歌手だから、他人(男女を問わず)の曲でも大抵は、そこそこ上手く歌えるに違いない。なかには、カバーされたもののほうが、オリジナルより良いというケースが稀にあるのかもしれないが、ほとんどの場合はやはり、オリジナルにはかなわないような気がする。


        歌手は芸術家であるから、やはり、自分の楽曲で勝負してほしいと僕は思う。そして、オリジナルの歌い方をいつまでも続けてほしいと思う。尾崎さんの「また逢う日まで」は、レコード大賞受賞当時の尾崎さんの歌い方が、いつまでもわれわれの脳裏に残っているのであって、「また逢う日まで」といえば、たとえどんなに彼より上手く歌える歌手が出現したとしても、われわれが求めるのは唯一、尾崎紀世彦さんしかいないのである。


        写真は、新宿歌舞伎町。手前の靖国通りを超えると、そこは新宿ワンダーランドだ。

        | red | | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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          唄い、踊り、そして飲もう。
          JUGEMテーマ:日記・一般



          沖縄の話。


          ゴールデンウィーク真っ只中であるが、僕はどこにも行かずずっと東京にいる。昨夜は新宿の飲食店のほうに少し顔を出してから、歌舞伎町で一杯やった。さすがに閉めている店も多かったが、いつものように看板にあかりが灯っている店もあって、僕は、たまに行くあるバーに立ち寄った。


          その店に、沖縄の歌がとても上手な若い男性スタッフがいる。たまにリクエストするときには、BEGINの「三線の花」という曲をお願いしている。「涙そうそう」や「島人ぬ宝」もいいのであるが、僕は「三線の花」の歌詞と、カラオケ画面に映るプロモーション・ビデオ(PV)がいかにも沖縄らしくて好きなのである。


          ♪ 喜びも悲しみも いつの日か唄えるなら
          この島の土の中 秋に泣き冬に耐え
          春に咲く三線の花


          この歌詞のあたりにくると僕はいつも、ジーンとくる。ご存知のように、沖縄はとてもつらい歴史を持っている。その昔、琉球王国と呼ばれていた頃から過酷な税の取立てに苦しめられてきて、通常の年貢のほかに、海産物や船具の物納税や強制労働の制度もあったとされる。


          ただ、厳しい税の取立てからくる貧困の土地にあって、唄と踊り、そして酒だけは人々の生活のなかにしっかりと根付いていた。唄と踊り、そして酒は沖縄の人々の生活そのものだったのだ。そういえば、新宿ゴールデン街のとあるバーに、沖縄出身の女性スタッフがいる。彼女の本職は歌手で、お酒は滅法強い。普段はビールやワインを飲んでいるようだが、アルコール度数の高い泡盛ももちろん飲めるという。


          普天間をはじめとする米軍基地問題でも、沖縄は苦労している。「もう勘弁してくれ」、そんな沖縄の悲鳴が聞こえてきそうだ。そういう辛さを一時忘れさせてくれるものが、唄であり、踊りであり、そして酒なのではないかと僕は思っている。


          写真右は、沖縄出身の元歌手、南沙織さん(ちなみに左は、朝丘めぐみさん。)。沖縄出身の歌手といえば、安室奈美恵さんとかSPEEDを思い浮かべる人が多いかもしれないが、沖縄出身の元祖アイドル歌手といえばなんといっても南沙織さんだと思う(現在、篠山紀信氏夫人)。

          | red | | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            僕の場合、真夜中に、スキャットを歌う。
            JUGEMテーマ:日記・一般

             

            スキャットの話。

             

             

            少し前に1970年(昭和45年)のことを書いたが、今日はその前年、1969年(昭和44年)の話から始めたい。この年の1月、東大安田講堂に集まった学生が警視庁の機動隊と衝突し、多数の学生が逮捕された。また、当時広がりを見せていたベトナム反戦運動に関連して、新宿駅西口では若者たちによる多くの集会が開催されるなど、1969年はなんとなく騒然とした年だった。

             

             

            当時、三人の女性歌手が歌った曲がヒットした。由紀さおり「夜明けのスキャット」、千賀かほる「真夜中のギター」、そして、新谷のり子「フランシーヌの場合」の3曲である。どの曲もしっとりとした優しい感じの曲であるが、「フランシーヌの場合」だけは内容的に他の曲と毛色が違っていて、その年の3月、反戦を唱えて自殺したフランス女性(フランシーヌ・ルコント)の名前をタイトルに使った、反戦歌なのである。

             

             

            ながら族だった僕は、小学生の頃から深夜放送を聴いていた。「夜明けのスキャット」も「真夜中のギター」も当時、ラジオからよく流れていた。「真夜中のギター」が、ギターを習うキッカケになったという方も多いに違いない。

             

             

            一方の「夜明けのスキャット」は、1969年の前年から始まった深夜放送番組のオープニングテーマとして使われたものだった。ただ、当初は♪ルールルルル、ラーララララ、パーパパパパ のスキャット部分しかなかったのであるが、視聴者の間でこの曲が評判になり、翌年の1969年に歌詞をつけた上で改めて「夜明けのスキャット」としてレコード発売され、ミリオンセラーになったのだ。

             

             

            その由紀さおりさんが米ジャズ・グループ「ピンク・マルティーニ」と共演(写真)して世界24か国で発売されたアルバム「1969」が、世界中でランキングの上位にランクインしている。「1969」とはもちろん、彼女の代表曲となった「夜明けのスキャット」を発売した年を記念して付けられたタイトルだ。

             

             

            透明感のある高音と低音が由紀さんの持ち味であるが、その声が世界中の音楽ファンの心を捉えた格好だ。人気はアメリカ、カナダに留まらずヨーロッパにも及んでいると言われる。1969年はなんとなく騒然とした年と書いたが、既成社会に対する不満がくすぶっている現在の欧米の姿は、当時の社会と相通じるところがあるのかもしれない。

             

            そんな状況下にあって、透明感のある優しい由紀さんの歌声は、明日の夜明けを信じる欧米人たちの心に沁み入っているのだろうか。

             

             

            | red | | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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              秋の夜長、酒の話は聞き流さないでほしい。
              JUGEMテーマ:日記・一般



              英語の話。


              ブログ更新をさぼっていたので、今日はつまらないことを書くかもしれないが(いつもつまらないことばかり書いているが)、とにかく書いて更新してみたい。


              さて、来週はもう11月に突入する。今年も残すところあと2か月になるわけだが、1年のなかで僕は11月という月が一番好きだ。忘年会、クリスマスなどイベント続きで慌しい師走、12月を目前に控え、11月という月はとても落ち着いていて、まるで嵐の前の静けさという感じだ。


              酒飲みの僕にとって、11月は日本酒が冷酒から熱燗に切り替わる節目の月でもある。コテコテの昭和演歌を聴きながら、小汚い場末の酒場で世間の憂さを晴らすべく熱燗をぐいぐい飲む、こういう姿こそ酒飲みの憧れであるが、現実にはこんなカッコいい状況になることはない。いずれにしろ、熱燗が酒場で主役を張れるようになる季節、それが11月なのだ。


              話は変わる。ゴルフの石川遼選手に、結婚を前提とした恋人がいるというニュースが流れた。あっ、そうと思ったが、それよりも、以前から僕には石川選手に関連してある疑問があった。それは、石川選手は本当に○○○○ラーニングという方法で、英語をマスターしたのかどうかという疑問だ。


              テキストもない、ただDVDの音声を聞き流すだけでネイティブとコミュニケーションが図れるというのは本当なのだろうかと、僕はずっと思っていた。もしそれが本当だとするなら、教育の現場で大いに活用したらいいと思う。小学校から勉強を始めたら、これからの日本人は中学生くらいになると全員が英語を話せるようになるに違いない。


              戦後65年間、国家を挙げて英語教育に取り組んできたのに、英語をまともに話せる日本人がほとんどいないという重い事実を踏まえると、日本人には英語という言語がそもそも馴染まないという仮説を、どうしても立てざるを得ない。


              作家の藤原正彦さんがこのことについて面白いことを書いている。日本人の英語下手には二つの理由があるというのだ。一つは、英語と日本語はあまりにも異なる言語だということ。英語を話すアメリカ人にとって、もっとも難解な言語は日本語とアラビア語だそうだ。もう一つの理由は、日本では、日常生活で英語を必要としていないということ。植民地経験のない日本は、外国から日本語以外の言語を使うことを強要されたことがこれまで一度もなかったから、日本にいる限り、日本語さえ話せれば生活に不便がないというのだ。海外経験が長く、英語ペラペラの藤原さんがおっしゃる話だから、説得力がある。


              ○○○○ラーニングもいいのかもしれないが、実際にチャレンジして英語をマスターできるのは、僕の勘だが、100人に1人くらいではないだろうか。


              写真は、globe。中央は先日、くも膜下出血で倒れたKEIKOさん。DEPARTURESは名曲だった。早く元気になってほしいですね。

              | red | | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                あなたの過去は、知りたくないの。
                JUGEMテーマ:日記・一般



                イタコの話。


                禅僧である南直哉さんが書かれた『なぜこんなに生きにくいのか』という本にイタコに関する話が載っている。イタコとはご存知のように、青森県の恐山などにいる女性霊媒師のことで、「あの世」とコンタクトが取れる特殊能力を持っていると言われる。


                恐山には毎年、子供や親など、肉親を亡くした方々が多く訪れる。その主な目的は亡くなった方の供養と、イタコを通じて「あの世」に行ってしまった肉親にもう一度会うことだとされる。多くの人は、死んだ人は「あの世」でまだ生きていると信じていて、死んだ人が「あの世」で今何をしているのか、今何を考えいるか、イタコを通じて知りたいと考えている。


                浅田次郎さんに『椿課長の七日間』という小説がある。46歳で急死したサラリーマンの椿課長が、「あの世」から別の人間に姿を変えて3日間だけ「この世」に戻ることを許可される。だが、姿を変えて「この世」に戻って来てみると、自分の妻が不倫をしていたとか、生きていたときには知らなかった事実を次々と知らされることになる。


                イタコの話にしても椿課長の話にしても、どちらも「あの世」があるということが前提になっている。即物的で信仰心に乏しい人間である僕は、「あの世」があるとは考えていないが、ここでは「あの世」があるかどうかという議論は置くとして、この二つの話を通じて僕が感じることは、人間はどうして自分以外の人間のことを、とことん知りたがるのかということだ。


                椿課長の場合で言えば、「あの世」から「この世」に戻ってさえこなければ、自分が生きていたときに妻が不倫していたという衝撃事実を知らずに済んだのだ。何でもかんでも知ろうという精神は、僕は好きではない。菅原洋一に「知りたくないの」という曲がある。


                ♪ あなたの過去など 知りたくないの
                 済んでしまったことは 仕方ないじゃないの


                この歌詞にある潔さが、僕は好きだ。どんな人間も、他人には言いたくない秘密をいくつも持っているはずだ。そういう秘密をなんでもかんでも知ろうとせず「そっとしておく」という姿勢が、人間関係、男女関係などを良好なものにするのではないかと思う。


                写真は、先日、僕が働く会社から撮ったもの。左側に小さく見える尖った建物がスカイツリーだ。

                | red | | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                世の中も変わる、人の心も変わるのさ。
                JUGEMテーマ:日記・一般




                1970年(昭和45年)の話。


                今から41年前の1970年。この年の3月、大阪で万国博覧会が開かれた。そのテーマは「人類の進歩と調和」。戦後、高度経済成長を続けた日本が、その実力を証明する一大イベントになった。同じ3月、赤軍派がよど号をハイジャックし、犯人たちは北朝鮮に亡命したが、これが日本における初めてのハイジャック事件となった。そして、11月。作家・三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺した。


                さて、この年にヒットした歌謡曲を調べてみる。「圭子の夢は夜ひらく」(藤圭子)、「京都の恋」(渚ゆう子)、「今日でお別れ」(菅原洋一)、「白い蝶のサンバ」(森山加代子)、「白い色は恋人の色」(ベッツィ&クリス)、「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ)、「走れコウタロー」(ソルティー・シュガー)、「四つのお願い」(ちあきなおみ)などがある。


                1970年というのは、どのような年だったのだろう。阿久悠さんによれば、1970年は「時代は貧しいのか豊かなのか、人々は自由なのか不自由なのか、未来は明るいのか暗いのか、なかなか個人では確認出来なくて大いに迷い、揺れた年」であり、また、「この年ほど、暗くて騒然とした年を他に知らない」とも語っている(『愛すべき名歌たち−私的歌謡曲史』)。


                暗くて騒然としたというのは、冒頭述べた、よど号ハイジャック事件や三島由紀夫割腹自殺の他に、この年、安保反対運動やベトナム戦争反対の動きなどが広まったことを指しているに違いない。そんななか、時代に押される形で歌謡界に登場したのが、藤圭子だった(写真)。1969年、藤圭子は「新宿の女」でデヴューする。そして翌1970年に発売した「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットし、紅白歌合戦初出場を果たす。


                阿久さんは「大仰に言うと、人々はこの少女(=藤圭子)の歌と姿に、時代の怨(うら)みめいたものを重ねたのである」としている。演歌ではなく「怨歌」という言い方がなされるようになったのも、この頃である。世の中への怨み節をドスのきいた声で藤圭子は歌ったが、一方、先日亡くなられた日吉ミミさんは、アッケラカンとした歌声で「怨歌」を歌った、阿久さんはそう指摘する。


                日吉ミミさんの代表曲「男と女のお話」も1970年のヒットだ。


                ♪ 恋人にふられたの よくある話じゃないか
                世の中変わって いるんだよ 人の心も 変わるのさ


                「昭和45年(1970年)の日本人は、まだ、世の中や時代は、明るさと暗さで成立していることを知っていたし、明るさの中にいる人は暗さを思いやり、暗さの中にいる人は明るさに手を伸ばしながらも、どこか暗さにいとおしさを覚えていたと思う」、阿久さんのこの言葉はなかなかの名言だと僕は思う。阿久さんはきっと、1970年という年に特別な思いを抱き、そして愛していたに違いない。


                1970年、時代の節目となった年だったのかもしれない。

                | red | | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                  「コクリコ」と「ココリコ」、似て非なるもの?
                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  音楽の話。


                  アニメ「コクリコ坂から」のCMで流れている曲が気になっていて、調べてみたら、手嶌葵さんという女性歌手が歌っていることがわかった。そこでさっそく今日、新宿のTSUTAYAで彼女のアルバムを一枚買ってきて、聴いてみた。


                  今から16年前、スピッツの「ロビンソン」を初めて聴いたとき、「懐かしいなあ」と思った。上手く説明できないけど、この曲を聴いていると、自分が子どもの頃に連れ戻されるような感じがして、その頃出合った風景がいくつも浮かんできた。


                  手嶌さんの曲を聴いていると、この「ロビンソン」に出会ったときと同じような気持ちになった。それと、僕は聴いてるうちに、手嶌さんの声と歌い方が、ある歌手のそれに似ていることに気づいた。それは、学生運動後の時代の孤独感、挫折感などを歌った森田童子だ。若い方々は知らないと思うけど、今から18年前、彼女が歌った「ぼくたちの失敗」がドラマ「高校教師」で主題歌として使われた。You Tubeでもこの曲はアップされているので、是非聴いてみてください。


                  「コクリコ」が最初覚えられず、いつも「ココリコ」になっていた。「ココリコ」だと遠藤、田中コンビになってしまう。くだらない話で恐縮です。


                  写真は、新宿駅西口。手嶌さんの曲は懐かしい感じのするものなので、モノクロにしてみました。

                  | red | | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                    あなたとわたしの合言葉、新宿歌舞伎町で逢いましょう?
                    JUGEMテーマ:日記・一般



                    歌謡曲の話。


                    僕のいる会社は事業をいろいろなやっていて、有料老人ホーム事業もその一つだ。入居者の平均年齢は大体86歳前後であるから、ちょうど昭和元年生まれということになる。


                    歌好きの僕は施設の方に無理を言って、施設のクリスマスパーティーのときに、入居者の方々とそのご家族の方々を前にして、ハワイアンを歌わせてもらったことがある。主にエルビス・プレスリーの曲を英語で歌ったのであるが、入居者の方々の反応はイマイチだった。ところが最後に、よく知られたハワイアンの名曲を日本語で歌ったとき、何人かのおじいちゃん、おばあちゃんが口パクを始め、ようやく反応らしき反応があったのである。


                    この施設では以前に、プロの落語家を呼んで入居者の方々に落語を聞かせたことがあった。しかしながら、おじいちゃん、おばあちゃんは少しも笑わなかった。普通であれば「ココで笑いが必ず起きる」というポイントでも、残念ながら無反応であった。


                    落語を聞いて笑うためには、頭の中を常にグルグル動かしながら、集中力を維持することが必要だ。正直言って、平均年齢86歳のおじいちゃん、おばあちゃんにこれらのことを要求するのは酷だと思う。一方、歌は、いわば身体で覚えるものであるから、一度聞いたことのある歌、一度口ずさんだことのある歌は、もう一度その歌を聞けば、身体が自然に反応するのではないだろうか。


                    平均年齢86歳というと、戦前から戦後にかけての時期が青春時代にあたる。4年前に亡くなった作詞家・阿久悠さんの『愛すべき名歌たち』を読むと、戦前・戦後の時期、僕も好きな名歌がたくさんあったことがわかる。「湖畔の宿」「港が見える丘」「異国の丘」「憧れのハワイ航路」「青い山脈」「悲しき口笛」「上海帰りのリル」「君の名は」等々。これらの歌を聞いて、おじいちゃん、おばあちゃんたちは青春を謳歌したに違いない。


                    このなかでは僕は、美空ひばりさんが歌った「悲しき口笛」が、哀愁を帯びていて好きだ。


                    丘のホテルの赤い灯も 胸のあかりも消えるころ
                    みなと小雨が降るように ふしも悲しい口笛が
                    恋の街角 露地の細道 ながれ行く


                    阿久悠さんは、昭和32年にヒットしたフランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」が好きだったという。なぜなら、この歌には、それまで日本の歌にこびりついていた土の匂い、故郷の匂い、母の匂いがなく、つまり、この歌に都会を感じたからだ。


                    あなたを待てば雨が降る 濡れて来ぬかと気にかかる
                    ああ ビルのほとりのティー・ルーム
                    雨もいとしや唄ってる 甘いブルース
                    あなたとわたしの合言葉 有楽町で逢いましょう


                    歌というのは、知らない間に人間の血となり肉となり、身体の中にしみ込んでいるいるような気がする。歌にはそのくらい、人間に対するパワーというものがあるのではないだろうか。


                    写真は、今日午後4時頃の新宿駅東口。天下の新宿に人がほとんどいない理由は、あまりにも暑いから。みんな涼しい地下街に逃げ込んでしまったのだ。


                     

                    | red | | 20:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                      嘘つきのあなた、でも愛しています?
                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      うその話。


                      折れた煙草の 吸いがらで
                      あなたの嘘がわかるのよ
                      誰かいい女(ひと) 出来たのね 出来たのね


                      これは、中条きよしさんが歌ってヒットした「うそ」の出だしだ。男が女にいろいろな嘘をつくのであるが、それでも、そんな男を女は愛している、そんな感じの曲だ。


                      さて、今日発売された週刊ダイヤモンドで、作家の佐藤優さんがウソについて書いている。社会人になったら「身内にはウソをつかない」というのが、組織人のおきてである、そう佐藤さんは書いている。


                      僕もたくさんの部下を会社で使ってきたが、佐藤さんの意見には賛成だ。上司はみんなアホのように部下は思っているかもしれないが、実際は、どんな上司でも部下のことをよく観察しているものだ(その逆も真なりかもしれないが)。だから、小さなウソでもすぐ気付くものだ。


                      小さなウソをつく人は、だんだん大きなウソをつくようになったり、会社や自分自身にとって都合の悪い情報を隠すようになったりする。月並みな言い方になるかもしれないけど、会社などで働く人たちは正直であるべきで、そうであることが結局、個人にとっても会社にとっても最良の結果をもたらすのだと思う(Honesty is the best policy.)。


                      Honestyで思い出したけど、ビリー・ジョエルのヒット曲「Honesty」にこんな歌詞がある。


                      Honesty is such a lonely word(誠実って、とても寂しい言葉)
                      Everyone is so unture(みんな、とても不誠実)


                      みんな、うそをつかないこと、つまり、誠実でありたいと願っているけど、なかなかそうすることは難しい、ビリー・ジョエルはそう歌っているのだ。現実は確かにそうかもしれない。


                      今日は少し酔っ払っていて、支離滅裂な文章になった(いつもだけどね)。写真は今夜の赤坂、一ツ木通り。そういえば、ロスインディオス&シルヴィアの名曲「別れても好きな人」にこんな歌詞がある。


                      ちょっぴり寂しい乃木坂 いつもの一ツ木通り
                      ここでさよならするわ 雨の夜だから


                      別れても好きな人って、実際あるような気がする。あー、歌って、本当にいいものですね。

                      | red | | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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