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      ニューハーフ、女装家、男娼、なんでもOKです。
      JUGEMテーマ:日記・一般



      吉原の話。


      東京でも今日、サクラの開花宣言があった。日本人はどうしてこんなにサクラが好きなのかわからないけど、僕は春に咲くサクラよりも秋の紅葉のほうが好きだ。


      さて、先日、新宿ゴールデン街のある店に初めて行った。その店でバイトをしている女性に、僕のブログのプロフィール写真(腕組みしている写真だが、トリミング前はもちろん全身が写っている。)を撮ってもらったのだ。彼女の本職はカメラマンで、撮る対象のメインがニューハーフや女装家で、とても個性的なカメラマンだ。


      その日、僕の右横には一見すると普通の男性が座っていたのだが、この男性は実は女装家で、昼間はサラリーマンをしているという。その方の話をいろいろ聞きながらウイスキーの水割りを3杯飲んで、もうそろそろ帰ろうかなあと思ったときに、ピンクの衣装を着た「女性」がお店に入ってきた。その「女性」は僕の左横に座ったのだが、この方も女装家であることがすぐわかった。どうやらこの店には、女装家やニューーハーフが夜な夜な集まるらしい。


      さて、『江戸のフーゾク万華鏡』という本がある。そこに、遊女の水揚げ(セックスの初体験)に関する話が書かれている。江戸時代の吉原では、遊女の多くは幼いときに妓楼(ぎろう)に売られてきた。その後、いろいろな躾と教育を受け、15歳前後にプロとしてデヴューするのだが、それに先立った行われるのが水揚げという儀式である。


      水揚げをする男性は、40歳以上の馴染み客がだった。当時、40歳というのは初老とされていたが、性経験が豊富で、挿入しても女性器を傷つけないように優しくセックスができるというのは、若い男性には真似できないことだった。


      吉原はお金持ちの武士や商人が遊ぶ合法の売春地帯であるが、庶民は岡場所と呼ばれる非合法の売春地帯で遊んだ。当時、江戸には40〜50ヶ所岡場所があり、なかでも、深川には岡場所が多かったとされる。


      冒頭、ニューハーフや女装家のことに触れたが、江戸時代初期には、武士たちのあいだで男色が好まれた。武士のみならず、僧侶も男色を好んだとされるが、その理由は、僧侶は女性と関係を持ってはいけないとされていたからだ。このようななかで、江戸には陰間(かげま)と呼ばれる、男色専用の若い男性娼婦が存在した。


      以前、春画のことを書いたときにも述べたが、日本人はそもそも、性に対してとても貪欲で開放的な国民のような気がする。『江戸のフーゾク万華鏡』を書いた永井義男さんは、江戸時代には、売春をはじめとする性風俗に対して抵抗感や罪悪感はなかったとしている。そのことが良いことなのか悪いことなのかという議論はあるかもしれないが、性のことに対して大らかだということは、窮屈じゃなくて僕は好きだ。


      写真は、吉原のことを描いた映画「さくらん」。

      | red | | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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