働くことの話。
今週は福岡、札幌と出張が続き、最後は新宿、銀座の大宴会で一週間を終えた。「休肝日」は一日だけで、計算してみると、働いた時間よりも飲んでいた時間のほうが長かった、そんな一週間だったような気がする。
さて、高収入があるタレントの母親が生活保護を受けていたことが社会問題、政治問題になり、このことについて賛否両論がいまだにあるようだが、ビートたけしさんが今週発売の週刊ポスト誌上で述べていた意見が、僕は一番当を得ているような気がした。
生活保護を受けるということは、昔は恥ずかしいことだとされていた。受給者は生活保護を受けていることを口外しなかったし、周囲もそのことについて触れなかった。ところが今は、生活保護を受けることが恥ずかしいことだという感情を失ってしまって、そこが大きな問題だとたけしさんは指摘する。
現実はとても厳しくて、楽な仕事はないし、一生懸命働いてもなかなか報われない、でも、働いていかなければならない、そういう当たり前の原則を、安易な生活保護受給制度は崩してしまったと、たけしさんは指摘する。
なかなか鋭い指摘だと思う。今回の問題は、働くということに対する価値観が変化していることが背景にあると、たけしさんは考えている。
では、人間はなぜ働かなければならないのだろうか。こういうタイトルの本が巷には結構ある。そのことだけで一冊の本ができてしまうわけだから、なぜ働くのかという「根源的」な問いは、随分奥深いもののように見える。でも、なぜ働くのかという問いに対する答えはそんなに難しいものではないと、僕は思う。「働くことに、特別な理由はない。」、これが僕の回答だ。なぜなら、人間として生まれた瞬間から、人間は働くことを宿命付けられていると僕は考えているからだ。
さて、先日あるテレビを観ていたら、大卒の新入社員の3割は、3年以内に会社を辞めてしまうという話をしていた。実際に入社してみると、入社前にイメージした会社と違ったとか、人間関係が嫌になったとか、まあ、想像できるような退職理由が並んだが、離職すること自体が悪いと思わないが、そういう人はどの会社に行ってもきっと、仕事が長続きしないに違いない。
なぜ離職するかということを少し考えなければならない。僕は人事の仕事も長いのでいろいろと考えるところがあるのだが、自己を過大評価をする人は仕事があまり出来なかったり、周囲と協調性を持って上手く付き合えなかったりして、結果、離職(転職)する、そういう傾向があるような気がする。多くの労働者は会社から給料をもらっているわけだが、今言ったような社員は、年収の自己評価は800万円なのに、会社は600万円としか評価してくれない、そういった不満を持つことが多い。
就職することもままならない厳しい世の中にあって、給料が多いとか少ないとか、正直、現実に対する認識が極めて甘いと思う。たけしさんが言うように「楽な仕事なんてどこにもない。それでも生きていくために耐えていくしかない」のだと僕も思う。
写真は、札幌にある旧道庁赤レンガ。新緑が目に眩しい。