人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      1人目の子どもは、女児に限ります。
      JUGEMテーマ:日記・一般



      子どもの話。


      仕事で僕は、30回以上中国に行った。そのなかで、石炭関係のビジネスで地方の大きな炭鉱会社を訪問したときに、ちょっとビックリするような話を聞いた。その炭鉱会社は自前の立派な病院を持っていて、役職員とその家族が利用できるようになっているのだが、出産については割当制になっていて、自由に出産ができないのだ。その背景にはご存知のように、1979年に始まった中国の一人っ子政策がある。


      その一人っ子政策の見直しが進んでいる。報道によると、河南省で「両親とも一人っ子である場合、当局の許可を得れば、子どもを2人まで産むことができ、また、両親がともに農村戸籍で、最初に生まれた子どもが女児だった場合、当局の許可を得れば、2人目の子どもを産むことができる」旨の条例が先日可決され、これを以って、一人っ子世帯の2人目出産が中国全土で認められることになったという。


      この条例、なかなか奥深いものになっている。そのなかで僕が注目したのは後段の「両親がともに農村戸籍で、最初に生まれた子どもが女児だった場合、当局の許可を得れば、2人目の子どもを産むことができる」という部分だ。これを字面通り素直に読むと、最初に生まれた子どもがもし「男児」だったなら、2人目の子どもは産めないという解釈になる。


      最初に生まれた子どもが女児だった場合に限り、2人目の子どもを生んでいいとする理由が素人の僕にはよくわからないが、想像するに、1人目が男児で2人目も男児になってしまうケースが増えると、女性が足りなくなってしまい、「種の保存」が出来なくなってしまうからではないだろうか。


      聞くところによると、この世の中からすべての女性がいなくなり男性だけになってしまうと、人類は滅びるのだそうだ。一方、この世の中からすべての男性いなくなり女性だけになっても、人類は生き延びるのだそうだ。その理由は、女性だけの世の中になった場合、一部女性のクリトリスがペニス化して、他の女性との性交が可能になり、子どもを作ることができるからだ。この話の真偽はわからないが、いずれにしろ、男性よりも女性のほうが生命力があることだけは言えそうだ。


      写真は、昨夜、上野のもつ鍋屋で食べた丸腸。部下4名を引き連れて行ったのだが、この大きさとブリンブリン状態に全員感激し、大丸腸大会になってしまった。

      | red | 時事 | 10:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        童貞は、カッコ悪くない?
        JUGEMテーマ:日記・一般



        童貞の話。


        国立社会保障・人口問題研究所という国の機関が、「結婚と出産に関する全国調査」という調査を5年毎に実施していて、昨年実施した最新調査の結果が昨日、公表された。この全国調査は「夫婦調査」と「独身者調査」の2つから構成されていて、そのうち、18歳以上35歳未満の男女約7千人の未婚者を対象にした「独身者調査」の概要が新聞などで報道された。


        今回の調査で最も特徴的だったことは、異性の交際相手を持たない未婚者が男女とも増加したことだ。具体的な数字で言うと、男性は61%(前回は52%)、女性は50%(前回は45%)だった。要するに、この5年間で、彼女、彼氏のいない未婚者がかなり増加したということだ。


        そのほかにもいろいろ興味深い調査結果があるのだが、僕が注目したのは、性経験率の数字だ。性経験率という難しい言葉を使っているが、要は、セックスを済ませた未婚者の割合のことだ。さて、ここでクイズです。18歳以上35歳未満の未婚者のうち、セックスをしたことのある人の割合は、どのくらいだと思いますか。正解は、男性60%、女性55%。この数字、高いと思いますか、それとも、低いと思いますか。


        僕は、この年齢層であれば、セックスは全員体験済みなのかと思った。男性でも40%はセックスの経験がない、つまり、童貞ということだが、童貞なのに童貞と答えるのはカッコ悪いと思い、童貞なのに童貞ではありませんと答えた人もいると思われるので、そのことを勘案すれば、「童貞率」は40%ではなく実際には50%程度ある可能性もある。このことは、男性の二人に一人は童貞であるということを示している。


        渋谷知美さんが『日本の童貞』という素晴らしい本を書いている。それによると、戦前までは、童貞というのは決してカッコ悪いことではなかったというのだ。なぜなら、処女の女性と結婚するためには、男性も童貞でなければいけないという考え方が戦前までは普通だったからだ。


        現代のように、童貞がカッコ悪い、童貞は恥ではないか、そういう考え方が出てきたのは1960年代半ば頃(今からせいぜい40数年前)だと言われている。その頃、女性の「処女率」が低下する一方、男性の「童貞率」は増加しているという状況もあり、雑誌などが童貞を捨てようキャンペーンのようなものを展開したのである。


        まあ、童貞を守るべきか、捨てるべきか、そんな議論をしても一向に結論は出ないであろう。ただ、「童貞率」の高低は、時代背景にかなりの部分左右されるということは、言えそうな気がする。未来の展望があまりなく、草食系男子が増えている現代なら、「童貞率」50%はそう驚くべき数字ではないかもしれない。


        写真は、女優の天海祐希さん。美人ですね。彼女も独身ですが、彼女の場合、結婚しようと思ったらいつでも結婚できそうですね。

        | red | 雑感 | 21:06 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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          新宿には、毒を持っていてほしい。
          JUGEMテーマ:日記・一般



          赤と青の話。


          会社の上期決算作業が無事終了したので、経理部の慰労会を昨夜、関係会社が運営する新宿の飲食店で行った。開放感から僕は、しこたま飲んでしまった。生ビール一杯、冷酒6合くらい、ワインをグラスで2杯、少なくともこのくらいは飲んだ。


          完全に勢いがつき、慰労会終了後、僕は一人で新宿ゴールデン街を目指した。目的のお店は最初から決まっていた。五番街の2階にある人気バーで、その店のママさんが誕生日ということだったので、差し入れを持って突撃した。すると、知り合いの常連さんがそこにいて、完全に出来上がっていた僕は調子に乗ってしまい、普段は飲むことのないテキーラで盛大に乾杯したのだ。


          これがよくなかった。その常連さんと一緒に別のお店に行くことになり、そこでもテキーラを飲んでしまった。このあたりで、前後不覚一歩手前。さすがに辛くなった僕は一人でその店を先に出たのだが、ゴールデン街を通ったとき、知り合いのママさん二人とバッタリ会ってしまった。


          近くにある焼肉店に行ったのはおぼろげに覚えているのだが、そこで何を食べたのか、そして、どうやって家に帰ったのか、全く記憶がないのだ。今朝9時頃目が覚めたのだが、背広を着たまま、ネクタイも外さずに居間のソファーに倒れこんでいた。もちろん、頭痛はするし、顔も熱い。完全に死亡状態だ。


          さて、とはいって、新宿ゴールデン街は明るくて、楽しい街だ。ご存知の方も多いと思うが、その昔、新宿ゴールデン街を含めた歌舞伎町花園の一帯は「青線地帯」と言われた。青線とは、無許可で売春をするエリアのことで、これに対して赤線とは、許可を得て売春を行うエリアのことを言う。売春防止法(昭和33年)が施行される前は、新宿二丁目を始め都内には7か所の「赤線地帯」があったとされる。


          僕が初めて新宿ゴールデン街で飲んだのは、入社間もない昭和60年頃だったと思う。その頃は今に比べると多少、あやしい雰囲気がまだ漂っていたような気がする。その後、バブルとその崩壊に弄ばれた新宿ゴールデン街は一旦は疲弊するのだが、若い経営者がどんどん台頭してきて、この街は少しずつ健全に、そして明るい繁華街に変貌してきたのである。


          昨日、1969年の話を書いたが、藤圭子が「新宿の女」で彗星のごとくデヴューしたのが1969年だった。そして、その翌年、彼女の代表曲となる「圭子の夢は夜ひらく」が発表される。


          ♪十五、十六、十七と、
          私の人生暗かった
          過去はどんなに暗くとも
          夢は夜ひらく


          本当のところはわからないが、これらの曲が流行った頃の新宿ゴールデン街にはまだ、あやしい雰囲気、暗いものが残っていたのではないだろうか。でも、どんなことにも光と影があるもので、一方的に光ばかりではつまらないし、また、影ばかりだと危険になってしまう。多くの光の中にほんの少しだけ影がある、そんなバランスが物事には必要なのではないだろうか。その点からすると、新宿ゴールデン街も多少の「毒」をいつも持ち続けてもらいたいと思う。


          写真は、新宿の夜景。夜景壁紙.COMさんから拝借させていただきました。

           

          | red | 新宿 | 17:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            僕の場合、真夜中に、スキャットを歌う。
            JUGEMテーマ:日記・一般

             

            スキャットの話。

             

             

            少し前に1970年(昭和45年)のことを書いたが、今日はその前年、1969年(昭和44年)の話から始めたい。この年の1月、東大安田講堂に集まった学生が警視庁の機動隊と衝突し、多数の学生が逮捕された。また、当時広がりを見せていたベトナム反戦運動に関連して、新宿駅西口では若者たちによる多くの集会が開催されるなど、1969年はなんとなく騒然とした年だった。

             

             

            当時、三人の女性歌手が歌った曲がヒットした。由紀さおり「夜明けのスキャット」、千賀かほる「真夜中のギター」、そして、新谷のり子「フランシーヌの場合」の3曲である。どの曲もしっとりとした優しい感じの曲であるが、「フランシーヌの場合」だけは内容的に他の曲と毛色が違っていて、その年の3月、反戦を唱えて自殺したフランス女性(フランシーヌ・ルコント)の名前をタイトルに使った、反戦歌なのである。

             

             

            ながら族だった僕は、小学生の頃から深夜放送を聴いていた。「夜明けのスキャット」も「真夜中のギター」も当時、ラジオからよく流れていた。「真夜中のギター」が、ギターを習うキッカケになったという方も多いに違いない。

             

             

            一方の「夜明けのスキャット」は、1969年の前年から始まった深夜放送番組のオープニングテーマとして使われたものだった。ただ、当初は♪ルールルルル、ラーララララ、パーパパパパ のスキャット部分しかなかったのであるが、視聴者の間でこの曲が評判になり、翌年の1969年に歌詞をつけた上で改めて「夜明けのスキャット」としてレコード発売され、ミリオンセラーになったのだ。

             

             

            その由紀さおりさんが米ジャズ・グループ「ピンク・マルティーニ」と共演(写真)して世界24か国で発売されたアルバム「1969」が、世界中でランキングの上位にランクインしている。「1969」とはもちろん、彼女の代表曲となった「夜明けのスキャット」を発売した年を記念して付けられたタイトルだ。

             

             

            透明感のある高音と低音が由紀さんの持ち味であるが、その声が世界中の音楽ファンの心を捉えた格好だ。人気はアメリカ、カナダに留まらずヨーロッパにも及んでいると言われる。1969年はなんとなく騒然とした年と書いたが、既成社会に対する不満がくすぶっている現在の欧米の姿は、当時の社会と相通じるところがあるのかもしれない。

             

            そんな状況下にあって、透明感のある優しい由紀さんの歌声は、明日の夜明けを信じる欧米人たちの心に沁み入っているのだろうか。

             

             

            | red | | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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              打つよりも、守ること、勝つ秘訣です。
              JUGEMテーマ:日記・一般



              プロ野球の話。


              今年の日本シリーズは、ソフトバンクの優勝で幕を閉じた。打撃戦と言える激しい試合は皆無だったので、面白くなかったシリーズだと評する人も多いだろう。一方で、専門家のなかには、勝負にこだわった「神経戦、心理戦」が面白かったと評価する人も少なくない。


              中日の落合監督(今日現在まだ監督なのかどうかわからないが)が書いた『采配』という本が今日出版された。その「試読版」というこの本の要約バージョンが、今日発売の「週刊ダイヤモンド」に載っている。


              選手をどうやって育てるのか、監督はどうあるべきなのか等、中日を常勝チームに育て上げた落合監督の持論がこの本で展開されている。正直言うと、僕はこの手の本はあまり好きではないのだが、日本シリーズ終了直後ということもあり、「試読版」を読んでみた。


              そのなかで、ちょっとだけ面白いと思ったのは、「負けない戦い方をすることが勝ちに繋がる」という落合監督の考え方だ。負けない戦い方をするその基本は、投手陣を充実されることだ。なぜなら、野球の80%は投手の出来不出来で決まるとされているからだ。一方、打者というのは「水もの」で、あまり当てにできない存在だというのだ。


              このことは数字にも如実に表れている。例えば、レギュラーシーズンの中日の成績を見てみると、得点は419点でセ・リーグ6球団中最下位。一方、防御率は2.46でセ・リーグ6球団中トップだ。すなわち、少ない得点を投手陣の力投で守り切って勝利してきた、これが中日の勝利の方程式だったわけだ。


              「負けない戦い方をすることが勝ちに繋がる」という考え方は、我々の生き方にも通じるところがあると思う。「負けない戦い方をする」というのは、裏を返せば、積極的に一か八かの勝負をして勝ちにいかないということである。我々の身の回りには、「努力をすれば必ず報われる」「資格などを取って自立した生き方をしよう」式の書物などが氾濫している。ちょっとこじつけになるかもしれないが、これらの書物は「一か八かの勝負をして人生を勝ちにいく」思想なのではないだろうか。


              ハッキリ言って、ほとんどの人は「努力をしても報われず」「自立した生き方ができない」のだと思う。それならば、そこそこの努力をして、自立こそできないが他人と上手く協調しながら生きる、これが僕を含めた多くの人にとって、派手さは無くても世間を上手に渡っていくための、現実的な対応の仕方なのではないだろうか。

               

              写真は、新宿駅西口。今日は鍋を食べようと思ったが、結局、カレーライスになった。こんなもんだよね。

              | red | 時事 | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                断然、コメ派人間です。
                JUGEMテーマ:日記・一般



                コメの話。


                11月23日、新嘗祭(にいなめさい)が行われる。新嘗祭とは、五穀豊穣に感謝する重要な宮中祭祀の一つで、例年天皇陛下がお出ましになられるが、今年は天皇陛下の体調がすぐれないため、欠席されるという。聞くところによると、前の昭和天皇も現在の今上天皇も、コメの出来具合については特に気にされていたとされる。


                日本人にとって御飯は、最も大切な食べ物と言っていいだろう。僕は完全にコメ派人間で、パンもパスタも嫌いではないが、最後は必ずコメに還る。だからというわけでもないが、新宿と赤坂で経営に係わっている飲食店では、一般的なコメに比べてかなり割高の上等なコメを使っている。「御飯、美味しかったです。」、お客様からそう褒められると、僕は嬉しい気持ちになる。


                先日、福島産のコメの一部から、基準値を超える放射性セシウムが検出され、政府は初めてコメの出荷制限を行った。コメ好きの僕はこのニュースを聞いて本当に残念な気持ちになり、そして悲しかった。今から18年前の1993年、長雨と冷害の影響を受けてコメは大凶作となった。すでにビジネスマンになっていた僕は、会社近くの定食屋で毎日不味い外国産米を食べたことを今でもハッキリ覚えている。


                その当時、コメを食べなくてもパンを食べればいいじゃないか、一部の人がそう主張した。しかしながら、日本人は古代から現在にいたるまでコメを食べて生きてきたわけで、日本人のDNAには、体質的にコメが一番合うという情報が刷り込まれているのだ。だから、コメがだめならパンでいいじゃないかという主張は、日本人の本能的、生理的観点からすると無理がある主張のような気がする。日本人にはやっぱり、コメ、なのである。


                さて、寒くなると、鍋が恋しくなってくる(写真)。ところで、鍋には最後にお楽しみがある。それは、鍋に残った汁を利用して作る雑炊である。御飯を鍋の中に入れ、溶きたまごをその上に回しかけ、最後に刻みねぎを振りかけて鍋の蓋を閉じる。少しだけ待つと、出汁の効いた美味しい雑炊の出来上がりです(ここでも、御飯が大活躍です。)。


                ということで、明日は鍋にしよう(一人鍋になる可能性大かも)。

                | red | 雑感 | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                  国民から敬愛されるリーダーになるのだ。
                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  ブータンの話。


                  国土の面積は日本の九州地方とほぼ同じで、人口はたったの70万人の国。それが、中国とインドに挟まれた小国、ブータンである。そのブータン国王夫妻(写真)が国賓として日本を訪れている。


                  ブータン国王は今から30年以上前に、「国民総幸福量(GNH)」の向上を目指すという国家理念を打ち出した。一般的に、国の豊かさを計る指標といえば「国民総生産(GDP)」である。ところが、当時のブータン国王は「国民の幸福は経済発展だけでは計れない」として、「国民総幸福量」という概念を持ち出したのだ。


                  一説によると、ブータン国民の9割は幸福を感じていると言う(アジアでは断トツトップ)。その幸福感というものは、物質的に豊かになったとか、経済的に豊かになったとか、そういった資本主義的な幸福感ではない。では、どういった幸福感なのだろうか。


                  ブータンは世界で唯一、チベット仏教を国教とする国家である。国民はチベット仏教に依拠した伝統的な生活を送り、基本産業である農業を大切にしている。また、安易な開発は行わず、自然環境保護を徹底している。だからといって近代科学を全く否定しているわけではなく、水力発電で得た電力をインドに売電して外貨を稼いでいる話は有名であるし、太陽光発電を採用し、インターネットも普及しているなど、文明国的な側面も持ち合わせている。


                  思うに、ブータン国民の幸福感とは、チベット仏教に依拠した伝統や文化を守った生活を送り、そして、自然と協調、調和しながら生きていくことができる、そういったことではないかと僕は推測する。もう一つ、国民の国王に対する敬愛ということも、幸福感形成に寄与しているかもしれない。ブータン国民のほとんどが、国王をヒーローのように敬愛しているという。国のトップに立つ人物を敬愛できる国民というのは、幸せなのではないだろうか(我が日本は果たしてどうだろうか。)。


                  前回の記事で、TPP問題に関して僕は「国益とはなんぞや」という議論をまずすべきではないかと書いた。この「国益」のことを考えるに際して、ブータンのことを研究してみると大いに役立つような気が僕はする。

                  | red | 時事 | 12:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                    草食系男子が、女子のオッパイを大きくします。
                    JUGEMテーマ:日記・一般


                    TPPとオッパイの話。


                    ハワイで行われたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に出席した野田首相は、日本がTPP交渉に参加することを正式表明した(正確には「交渉参加に向けた協議を始める」ということらしいが、現実的には同じこと。)。一昨日放送されたTVタックルでも、TPP参加に関し、賛成派と反対派との間で激しい議論が繰り広げられていた。しかしながら、あまりにヒステリックな議論を見ていて僕は「TPPの正体を、ひょっとしたら誰も知らないのではないか。」、そう思ってしまった。


                    昨日午前中に行われた参議院の予算委員会で、自民党のある議員が「交渉に参加しない選択肢もあるのか。」と質問したのに対し、首相は「何が何でも、国益を損ねてまで参加することはない。百パーセント、とにもかくにも参加ということではない。」と述べたそうだ。


                    質問者がこの答えで納得したのかどうかは知らないが、僕なら「首相が考える国益とは具体的にどのようなものですか。」と質問を続ける。TVタックルにおいても「国益」という言葉が何度も飛び交ったが、「国益とはなんぞや」ということについて誰も説明していなかった。「国益に叶うことには賛成し、国益に反することには反対する。」、このこと自体に異議を唱える人はいないわけであるから、それならば大切なことは、「国益とはなんぞや」という議論を先ず行うことではないかと思う。


                    さて、次はいきなりオッパイの話。一昨日発行された「週刊現代」に、「ボインの社会史」という特集があった。この記事の趣旨は、昔の女性に比べると今の女性のオッパイは大きくなった、というものである。本当がどうかは知らないが、1980年頃の日本人女性の8割がAカップかBカップで、Cカップなら「ボイン」と呼ばれたそうだ。


                    「ボイン」は今では「巨乳」という言葉に変わっている。「君、ボインだね。」なんて、今どきの男性は決して言わない。それはさて置き、何故、オッパイの大きい女性が増えたのか。その分析が面白い。


                    医学博士の米山公啓氏によると、オッバイは乳腺と脂肪から成っていて、脂肪分の多い食事を摂るようになった食生活の変化が脂肪を増やし、結果、オッパイが大きくなったという。この分析には僕もすぐ納得した。もう一つの分析があるのだが、これがなかなか面白い。


                    ご存知のように、この頃の男性は草食系男子などと称され、性に対して消極的であると言われている。そこで、女性の方から男性にセックスアピールする必要が生じ、その結果、オッパイのほうも自然と大きくなったのではないか、米山先生はそう指摘されるのだ。まー、わからないでもないが、多少無理筋のお話のような気もする。


                    先日、脚フェチの話を書いたが、オッパイフェチというのもあるらしい。いずれにしろ、人間の肉体と言うのは実に奥深くて、興味が絶えない。


                    写真は、新宿三越に入っている、ルイ・ヴィトンのショーウインドウ。このディスプレイを見て僕はすぐにコンデジで数枚写真を撮った。通行人は変態オジサンだと多分思っただろうね。

                     

                     

                    | red | 時事 | 01:35 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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                      新しい仕事には、苦労はつきものですけど...
                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      会社の話。


                      大王製紙の御曹司が会社のお金を100億円使い込んだとか、オリンパスが20年間にわたり粉飾決算をしていたとか、この頃、一流上場会社をめぐる不祥事が続いている。それも、100億円単位という巨額の不正で、素朴な疑問として、どうして今まで誰も気づかなかったのだろうと思う。


                      ひょっとしたら、気付いた人がいたのかもしれない。否、必ずいたに違いない。でも、会社という自由のきかないストレスフルな組織に属していて、見て見ぬふり、聞こえないふりをしていたのかもしれない。


                      厚生省は昨日、労働災害(労災)認定の新基準を作成するための報告書を公表した。業務上どのようなストレス(これを専門的には「心理的負荷」と表現している。)が発生した場合に労災認定をするのか、その具体例がいくつか示された。


                      例えば、「客観的に、相当な努力があっても達成困難なノルマが課され、達成できない場合には重いペナルティーがあると予告された」「過去に経験した業務と異なる質の業務に従事することとなったため、配置転換後の業務に対応するのに多大な労力を費やした」「業務をめぐる方針等において、周囲からも客観的に認識されるような大きな対立が上司との間に生じ、その後の業務に大きな支障を来たした」等々。


                      これらの例示に示されたことが事実と認められる場合、労災認定されることになるわけだ。僕も会社で人事の仕事もやっているので、国が作成する基準は尊重しなければならないが、個人的に言わせてもらうと、これらの基準は少しばかり「過保護」じゃないかと思う。例えば2番目にある配置転換の話にしても、配置転換になれば新しい仕事をして苦労するのは当たり前の話で、また逆に、苦労しないと新しい仕事は身に付かないわけであるから、この基準案は如何なものかと思う。


                      写真は、昨夜行った新宿歌舞伎町の「ワールドワイド」。文字通り、世界中の美味しいお酒が楽しめます。

                       

                      | red | 雑感 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                        ギリシャの先頭入場、来年の五輪ではないかもね。
                        JUGEMテーマ:日記・一般


                        ギリシャの話。


                        イギリスのあるコンドームメーカーが3年ほど前に、26か国、約2万6千人を対象に、1年間にどのくらいセックスをするのかを調べた。その結果、第一位はギリシャで164日(つまり、ほぼ2日に一回ペース)、第二位はブラジルで145日、そして我が日本は48日(つまり、ほぼ一週間に一回ペース)で、26か国中残念ながら(?)最下位ということなった。


                        セックス回数ダントツ一位のギリシャが今、大変なことになっている。国の財政が破綻するかどうかの瀬戸際にあるのだ。ご存知のように、ヨーロッパ各国が協調して支援しようとしているが、これを拒否すべきと考えているギリシャ国民も少なくなく、ヨーロッパは今、大混乱に陥っている。


                        ギリシャはいわば国家存亡の危機にあるわけで、それを助けてあげようとフランスやドイツが救いの手を差し伸べているわけであるから、常識的に言えば、ギリシャは素直に、フランスやドイツの提案に従うのが筋だと思う。ギリシャがいつまでも駄々をこねような姿勢を続ければ、それは児戯に類する行為と言われても仕方ないわけで、もしそうなれば、世界中の国からソッポを向かれてしまうに違いない。


                        ギリシャはオリンピック発祥の地である。近代オリンピックを取り仕切るIOC(国際オリンピック委員会)が定めたオリンピック憲章の前文には、人間の尊厳を重んじて、平和な社会を推進することがオリンピック精神の一つだと述べられている。ギリシャは今、人間の尊厳を重んじて、平和な社会を推進しようとしているだろうか。ご存知のように、オリンピックの選手入場で一番先に競技場に入ってくるのはギリシャと決まっている。これは、オリンピック発祥の地であるギリシャに対する、世界各国の敬意の表れである。


                        今回のギリシャ危機で世界に迷惑をかけることがもしあれば、僕の勘だが、次回のオリンピックではギリシャ選手団の先頭入場はもしかしたら、なくなるかもしれない。


                        写真は、新宿花園神社、一の酉のときの様子。今年は三の酉まであるので、火事には注意しなければならない。

                        | red | 時事 | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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