人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
0
    スポンサーサイト

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | スポンサードリンク | - | | - | - | - | - |
    0
      ニューハーフ、女装家、男娼、なんでもOKです。
      JUGEMテーマ:日記・一般



      吉原の話。


      東京でも今日、サクラの開花宣言があった。日本人はどうしてこんなにサクラが好きなのかわからないけど、僕は春に咲くサクラよりも秋の紅葉のほうが好きだ。


      さて、先日、新宿ゴールデン街のある店に初めて行った。その店でバイトをしている女性に、僕のブログのプロフィール写真(腕組みしている写真だが、トリミング前はもちろん全身が写っている。)を撮ってもらったのだ。彼女の本職はカメラマンで、撮る対象のメインがニューハーフや女装家で、とても個性的なカメラマンだ。


      その日、僕の右横には一見すると普通の男性が座っていたのだが、この男性は実は女装家で、昼間はサラリーマンをしているという。その方の話をいろいろ聞きながらウイスキーの水割りを3杯飲んで、もうそろそろ帰ろうかなあと思ったときに、ピンクの衣装を着た「女性」がお店に入ってきた。その「女性」は僕の左横に座ったのだが、この方も女装家であることがすぐわかった。どうやらこの店には、女装家やニューーハーフが夜な夜な集まるらしい。


      さて、『江戸のフーゾク万華鏡』という本がある。そこに、遊女の水揚げ(セックスの初体験)に関する話が書かれている。江戸時代の吉原では、遊女の多くは幼いときに妓楼(ぎろう)に売られてきた。その後、いろいろな躾と教育を受け、15歳前後にプロとしてデヴューするのだが、それに先立った行われるのが水揚げという儀式である。


      水揚げをする男性は、40歳以上の馴染み客がだった。当時、40歳というのは初老とされていたが、性経験が豊富で、挿入しても女性器を傷つけないように優しくセックスができるというのは、若い男性には真似できないことだった。


      吉原はお金持ちの武士や商人が遊ぶ合法の売春地帯であるが、庶民は岡場所と呼ばれる非合法の売春地帯で遊んだ。当時、江戸には40〜50ヶ所岡場所があり、なかでも、深川には岡場所が多かったとされる。


      冒頭、ニューハーフや女装家のことに触れたが、江戸時代初期には、武士たちのあいだで男色が好まれた。武士のみならず、僧侶も男色を好んだとされるが、その理由は、僧侶は女性と関係を持ってはいけないとされていたからだ。このようななかで、江戸には陰間(かげま)と呼ばれる、男色専用の若い男性娼婦が存在した。


      以前、春画のことを書いたときにも述べたが、日本人はそもそも、性に対してとても貪欲で開放的な国民のような気がする。『江戸のフーゾク万華鏡』を書いた永井義男さんは、江戸時代には、売春をはじめとする性風俗に対して抵抗感や罪悪感はなかったとしている。そのことが良いことなのか悪いことなのかという議論はあるかもしれないが、性のことに対して大らかだということは、窮屈じゃなくて僕は好きだ。


      写真は、吉原のことを描いた映画「さくらん」。

      | red | | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      0
        「クロワッサン三個とコカコーラ、お願いします。」。
        JUGEMテーマ:日記・一般



        言葉の話。


        入社して3年目の頃、新規事業部門に在籍していた僕は、手始めとしてベーカリーショップ(パン屋)の経営をロサンゼルスで始めた。オープンさせたといっても一から立ち上げたのではなく、既存の店舗を買い取ったのである。


        その店のウリは、ボリュームたっぷりのクロワッサンサンドウィッチだった。ただ、当時から肥満が社会問題化していたアメリカでは、カロリーの高いクロワッサンは白人からは敬遠されがちで、お店のお客さんのほとんどが黒人かヒスパニックの人たちだった。


        ホールの店員は全員女性だったが、一人が白人女性で、残りの女性はすべてメキシコ人だった。このメキシコ人女性たちはとても陽気で愛想が良かったのだが、難点が一つだけあって、それは言葉の問題だった。


        メキシコ人女性たちはそこそこ英語ができたが、電話注文を正確に受ける能力は残念ながらなかった。小さな店舗で利益が小さかったので、注文を間違って受けることは命取りになった。そこで登場するのが、英語ペラペラの白人女性なのだ。ランチどき、彼女は近所のオフィスからくる注文をテキパキと、そして、正確にさばいていた。


        さて、今朝のラジオ番組で、インドネシアやフィリピンから来て日本の看護師や介護福祉士になるのがとても難しいという話をしていた。例えば、看護師試験を例に取ると、日本人の合格率が90%以上あるのに対し、インドネシア人等の合格率は数%程度と極端に低い。これだけ差がつく最大の理由は、言葉の問題だという。日本人でさえ読めない、そして当然意味もわからない専門用語ばかりが試験に出てくるのであるから、インドネシアやフィリピンから来た人たちにとっては「超超難関」の試験であるに違いない。


        一生懸命働いてもらえば日本人でもインドネシア人でも僕は構わないと思うが、ただ、看護師については慎重であってほしいと思う。なぜなら、看護師は患者の命にかかわる仕事をするわけであるから、医師の指示を間違って理解したり、日本語がわからなくて対応が遅れたりしたら、患者の容態を悪化させてしまうことが考えられるからだ。


        以前にも書いたが、日本語という言語は本当に難しい言語らしい。インドネシアやフィリピンはいろいろな思惑があって日本の医療や介護の現場に来ようとしているという話も聞くが、いずれにしろ、日本語をしっかりマスターすることがすべての出発点であるような気がする。


        写真は、数日前の新宿三丁目付近。明日は暖かくなりそうなので、コートなしで会社に行こうと思う。


         

        | red | 時事 | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        0
          ラムネのビー玉、最初に考えた人は?
          JUGEMテーマ:日記・一般



          ラムネ氏の話。


          水曜日から昨日まで、仕事で北海道に行ってきた。東京では今週末にもサクラが開花する見込みであるが、札幌では、5月のゴールデンウィークあたりが開花予想時期で、そのときにはサクラばかりでなく梅も一緒に開花し、北海道にもようやく春がおとづれる。


          さて、今、テレビで巨人対アスレチック戦を観ながらこの記事を書いている。昼間行われた阪神対マリナーズ戦では、マリナーズのイチローや川崎などの日本人選手が活躍したが、試合のほうは5−1で阪神が勝利した。


          現在、何人の日本人が大リーグで活躍しているのか知らないが、今年に限ってみても、ダルビッシュ、和田、青木、岩隈、川崎など、日本球界を代表する選手たちが「海を渡った」。


          大リーグは正式には、メジャーリーグベースボール(MLB)という。この憧れのMLBを目指して、世界中から優秀な選手が集まってくる。僕の好きな松井秀喜選手も2003年、巨人からニューヨークヤンキースに移籍したが、今年は残念ながらまだ所属球団が決まっておらず、個人的には、日本球界に復帰して再び巨人で活躍してほしいと願っている。


          今でこそ日本選手も「気軽に」MLBに行けるようになったけど、そのキッカケを作ったのは、1995年に当時の近鉄からロサンゼルス・ドジャーズにマイナー契約で移籍した野茂英雄選手だった。その頃、野茂選手は近鉄球団との確執があったとされるが、いずれにしろ、高額の年俸を捨て、わずか980万円の年俸で野球を続ける決断をした野茂選手は、文字通り、MLBへの道を切り拓いたパイオニアだった。


          作家の坂口安吾に、「ラムネ氏のこと」という短編がある。我々が今安全にフグを食べられるのは、自ら命を落としながらもフグの安全な食べ方を後世に伝えようとした多くの無名殉教者、つまりラムネ氏のお陰である。事の大小に関わらず、物事に徹し、強靭な意思を持った人がラムネ氏であり、そのラムネ氏がこの世の中を変えていくのだと坂口安吾は言う(ラムネ氏のラムネとは、飲むラムネのことである。)。野茂英雄選手も当然、ラムネ氏の一人と言えるだろう。


          話は飛ぶが、東日本大震災で生じたがれき処理問題で、住民の反対などもありほとんどの自治体が受け入れをしてこなかったが、ここにきて、がれき処理の受け入れを表明する自治体が急速に増えてきた。最も早くがれきの受け入れ表明をした自治体はどこなのか知らないが(ひょっとしたら東京都かもしれない。)、その自治体はその決断をするにあたり、相当の覚悟があったことは容易に想像がつく。


          がれき処理受け入れに関する「ラムネ氏」は当然、最初に受け入れ表明をした自治体ということになる。


          さて、今年は7月にロンドン五輪が開催される。この機会に、大きいサイズのテレビを買おうと思う。写真は、新体操日本代表の「フェアリージャパンPOLA」。愛称に、企業名が入っているのは珍しい感じがする。

          | red | 雑感 | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          0
            赤って、情熱的な色じゃないですか。
            JUGEMテーマ:日記・一般



            色の話。


            今週水曜日から土曜日まで、仕事で北海道に行く。国内出張で3泊もすることは通常ないので、それ用の旅行鞄を持っていない。思い切ってこの機会に、機内に持ち込めるサイズのスーツケースを買おうと思い、いろいろと調べてみた。


            気に入ったものがようやく一つ見つかり、後はスーツケースの色を決める作業が残ったのだが、ここで少し迷った。僕はもともと赤という色が好きなので(ブログのハンドルネームも「red」にしている。)、赤を選びたいところなのだが、赤いスーツケースを持っている男性をあまり見たことがない。やっぱりここは黒にしようか、それともシルバーにしようか、いやいや初志貫徹で赤にしようか、そんな感じで迷ったのだ。


            先月、ある方にカラーセラピーをやっていただいた。パワーストーンが入った10本のカラーボトルから好きな色のボトルをいくつか選ぶと、その選んだ色によって、その人の深層心理がわかるというものだ。その際も、僕は真っ先に赤色のボトルを探した。セラピーの内容はちょっと忘れてしまったが、色で人の心の奥がのぞけるというのは、なかなか面白いと思った。


            染織家で人間国宝でもある志村ふくみさんが書かれた『一色一生』というエッセイに、「蘇芳(すほう)」という木の話が何度か出てくる。「蘇芳」とは、インド、マレーシアに産する蘇芳という木の芯材のことで、この蘇芳をたき出すして糸を浸けると真赤になるという。あらゆる赤の中で、蘇芳の赤が一番素晴らしいと感じた志村さんは若い頃、蘇芳と格闘して寝込んだこともあると回想している。


            赤というのはパワーを感じるいい色だと僕は思うけど、今の政治に対して国民が出すレッド・カードの赤は、あまりいい赤ではないかもしれない。


            今日は欲張ってもう一つ。


            先日、ちょっと変に感じる日本語の話を書いたが、今日はその第二弾。あまりこんなことばかり書いていると「オジサン、うぜー!」と若者から叱られそうなので、ほどほどにしようとは思っている。


            今日は、「〜じゃないですか。」という表現。日常的によく耳にする言葉なので、慣れたといえば慣れたのであるが、常に変な感じがしている。例えば、「昨日、雨が降ったじゃないですか。」。この言葉を発した人は話相手に、昨日雨が降ったという事実の確認、もしくは同意を求めているのだと思う。ただ、確認、同意を求める言葉としては、弱いというか、あまりにもへりくだっているような感じがする。


            ところで、「じゃ」というのは一体何なのだろうか。文法的には知らないが、この「じゃ」があるお陰でその後の「ないですか」に何でも接続可能になる。「僕って、学生じゃないですか。」「新宿は、とても怖い街じゃないですか。」等々、なんでも「じゃ」を付けると「〜じゃないですか。」という確認、同意を求める表現に変身させることができる。


            深層心理というと大袈裟かもしれないが、「〜じゃないですか。」を使う人は自分に自信のない人、もしくは、自己中心的な人じゃないかと思う。後者の例としては、上に挙げた「僕って、学生じゃないですか。」がその典型だと思う。これを聞いたほうは「君が学生かどうかなんて、知らないよ。」「君が学生であることを、皆が知っていると思ったら大間違いだよ。」、そう思うに違いない。


            言葉は時代とともに生まれ、そして死んでいくのかもしれないが、そうなるのには必ずそうなる背景があるのだと思う。なかなか生きにくい世の中にあって、自分の主張を自信を持って表現できなかったり、少子化社会の進行のなかで、自己中心的な考えの若者が増えたり、そういった時代背景が「〜じゃないですか。」という表現を生んだと考えるのは、少し飛躍しているだろうか。


            写真は、女優の水野美紀さん。「新日曜美術館」に今朝出演されていた。久しぶりに拝見しましたが、やっぱり美形で色気を感じます。

            | red | 雑感 | 19:16 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
            0
              ジェラシー、oh、oh、oh、ジェラシー。
              JUGEMテーマ:日記・一般



              嫉妬の話。


              金曜日の朝、あるラジオ番組で、今話題になっている木嶋佳苗被告に関する話が出ていた。街頭で、木嶋被告をどう思うかという質問を女性ばかりにした結果、特別な思いはないという人が多かったのだが、「男性にどうしてあんなにモテるのかわからない」という意見も少なくなかった。


              テレビで公開された写真を見る限り、ハッキリ言えば、木嶋被告は美人とはいえない。美人ならわかるが、美人じゃない木嶋被告がどうしてモテるのか、一部の女性はそういった「疑問」というより、木嶋被告に対する一種の「嫉妬」を抱いたのではないかと僕は思った。


              美人は男性にモテて、非美人は男性にモテない、これは決して一般的なことでないことは、多くの人はわかっているはずだ。それにもかかわらず、非美人の木嶋被告が男性にモテたことに女性たちが「嫉妬」するのはどうしてなのだろうか。


              『嫉妬の世界史』(山内昌之著)は、権力や名声といったものに対する男性の嫉妬心が、世界を動かしてきたことを説いた本であるが、歴史上の大人物に限らず、人間であるならば誰でも嫉妬心というものを持っているような気がする。


              ところで、嫉妬の対象とは何なのだろうか。美貌(男性の場合はイケメン)、財産(お金)、才能、社会的地位、学歴、それとも健康だろうか。冷静に考えてみると、これらの嫉妬する対象というのは、イコール、「自分に欠けているもの」「自分に無いもの」ということになるのかもしれない。


              数年前に、お笑いコンビ麒麟の田村裕さんが書いた『ホームレス中学生』がベストセラーになった。僕も読んだが、想像を絶する貧乏生活に驚き、そして、田村さんを可哀相に思った。しかしながら、本が話題になって爆発的に売れ、田村さんの懐に印税が何億円も入ったという話が出た途端、可哀相という気持ちは消え失せ、大金持ちになった田村さんに嫉妬を覚えたという人も多かったのではないだろうか。


              嫉妬心というのは本当に厄介な感情だと思う。自分のことだけを考えて、他人のことは気にしない、そういう生き方をしたいところであるが、悟りの境地でも開かない限り、そういう生き方はなかなか出来ないものだ。一方、嫉妬心には良いところもある。他人に対する嫉妬心をバネに、自分もがんばるという前向きな生き方をするためのキッカケとすることもできる。いずれにしろ、嫉妬心という感情自体を消し去ることは、すべてにおいて恵まれた人生を送っている人以外は出来ないように思う。


              写真は、新千歳空港内の北海道地酒コーナーにあったのもの(今日、札幌から帰ってきた。)。なんとなく雰囲気が好きで、僕のブログでは2回目の登場である。

              | red | 時事 | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              0
                夜明けの雪化粧、誰が降らせたのか、わかりませんよ。
                JUGEMテーマ:日記・一般



                常識の話。


                インターネットで知り合った男性3名に対する殺人事件で、木嶋佳苗被告の裁判員裁判が昨日さいたま地裁で行われ、検察側は木嶋被告に対して「直接証拠はないが、間接証拠、健全な社会常識に照らせば有罪の認定が可能」として死刑を求刑した。


                検察側は裁判員に対して「夜明けに外を見ると一面の雪化粧。雪が降ったのを見ていなくても夜中に降ったことが分かる」とのたとえ話を出して、被告が殺人を犯した直接証拠はないが、状況証拠などから「常識で考えてほしい」と語りかけ、死刑求刑の正当性を訴えた。


                このたとえ話、直接証拠を持たない検察側が裁判員を説得すべく持ち出したものだと思うが、正直、説得力に欠ける。ところで、法務省のホームページを覗いてみると、裁判員制度導入の理由は「国民のみなさんが裁判に参加することによって、国民のみなさんの視点、感覚が、裁判の内容に反映」させることだと書かれている。


                この部分だけ読むと、裁判官にはこれまで「国民の視点、感覚」がなかった、あまのじゃくの僕にはそう読める。一方で、「国民の視点、感覚」ってそもそも正しいのかどうかという議論もある。いつも言っているが、大衆とか国民というのは大体いい加減な存在だ。だから、もし、「国民の視点、感覚」が正しいものでないのなら、そのようなものを「裁判の内容に反映」してはならないということになる。


                ハッキリ、そして、ザックリ言うと、プロの裁判官にも素人の裁判員にも、それぞれ真っ当な感覚と判断力を持った人と、そうでない人がいると思う。もしそうであるのなら、殺人罪などの刑事事件を判断するという精神的苦痛を裁判員に課すことは止めて、法律のことに圧倒的に詳しいプロの裁判官だけで、裁判を行うべきではないのだろうか。


                再び法務省のホームページを覗いてみると、裁判員制度は「アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界の国々で広く行われています。」と書かれているが、またぞろ、欧米の先進国で行われていることだからわが国でも導入しようという発想である。もうそういう考え方は止めたらどうだろうか。裁判官を増やして、これまでのやり方で裁判をやってくれればそれで良いと、僕は思うのだが。


                写真は、中野駅北口の飲み屋街。接待があって新宿でしこたま飲んだあと、一人中野でまた飲みなおした。

                | red | 雑感 | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                0
                  あの人、能力はあるのだけれど。
                  JUGEMテーマ:日記・一般



                  選考基準の話。


                  昨日、高校時代の同級生が僕を含めて8名集まり、新宿で飲み会をやった。飲み会といっても夜スタートではなく、午後2時半スタートという、真昼の飲み会だった。しかしながら、終了したのは午後7時過ぎになり、結局、5時間近く飲み続けてしまった。


                  昨日は土曜日ということもあり、飲み会終了後、僕は一人で歌舞伎町方面に飲みに行った。自分でもよく飲めるなあと思うのだが、一旦酒が体内に入り込んでしまうと、意志薄弱な僕は、一瞬にして酒に飲まれてしまうようだ。


                  さて、多少二日酔い気味で今朝起きて、いつものようにテレビをつけたら、なんと朝早くから女子マラソンをやっているではないか。ロンドン五輪選考を兼ねた、名古屋ウィメンズマラソンだったのだが、マラソンは昼過ぎにスタートするものだと思い込んでいたから、どうして午前中にやるのだろうと、ちょっとだけ変な感じも覚えた。


                  結果はご存知のとおり、尾崎選手が好タイムで2位に食い込んだ。明日、今日のレースも参考にして、ロンドン五輪女子マラソンの代表選手3名が発表される。当然、今日力走を見せた尾崎さんも、有力候補のなかに名を連ねることになった。


                  女子マラソンも男子マラソンも、世界選手権と指定された日本で開催される3大会の成績を見て「五輪で活躍が期待できる」選手が代表として選出される。これがマラソン代表の「選考基準」というわけだが、こういうやり方はずっと行われてきていて、僕は随分曖昧な基準だなあと思っていた。


                  なぜなら、代表選手は、世界選手権を含めた4大会の結果を比較考量して決められるわけだが、大会の開催時期が異なるから当然、ある大会は猛暑の中、ある大会は大雨の中、ある大会は雪の中等、自然条件がかなり異なるわけだし、又、コースの難易度といったものをあるわけだから(又、午前スタートと午後スタートの違いもあるかもしれない。)、4大会の成績を公平に比較することができないのではないかと思うのだ


                  選考対象の大会が複数あることは、選手のほうからすると、相性の良いコースを選べるとか、一度失敗しても別の大会に改めて出場できるといった利点もあるのかもしれないが、レースを観ている方からすると、一つの大会のみの成績で上位の選手から単純に3人選ぶほうが公平だし、客観性が確保できるような気がする(選手のほうも、そのほうが納得がいくと思う。)。


                  もしそうなると、レース当日、有力選手でたまたま体調を壊してしまう選手が出てしまい、五輪でメダルを狙える選手が選出できない可能性が出てくると危惧する向きもあるかもしれない。でも、有力選手が必ずしも本番の五輪でいい成績を残せるとは限らないし、もっと冷たく言えば、選考対象レースに体調をピークに持っていけないとか、たまたま成績が振るわないというのは、その選手に大舞台で活躍する「何か」が欠けている証拠だから、本番の五輪でも同じようなことが起こる可能性があると考えることもできるのだ。


                  ビジネスの世界でもそうであるが、能力があるということと、成果が出せるというのは別次元のことだ。あの人はいいものを持っている、そういう言い方をよく耳にするが、いいものを持っているだけでは仕事にならない。なぜなら、いいものというのは、「眠っている」からだ。スポーツでもビジネスでも、求められるのは結果なのであって、潜在能力の有無というのはあまり関係のないことだと思う(ただ、結果が出なくても、一生懸命取り組むという姿勢は尊いのであって、そのことは、別の観点から評価されるべきものだと思う。)。


                  いずれにしろ、選考された代表選手は、日の丸を背にロンドンで力走してもらいたいと願う。がんばれ、ニッポン!


                  写真は、タレントの長谷川理恵さん。ホノルルマラソンの常連なのだそうです。

                  | red | 時事 | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  0
                    千円からお預かりします?
                    JUGEMテーマ:日記・一般



                    日本語の話。


                    日本語の使い方について、この頃気になっているものが少しあるので、書いてみたい。


                    先日、近くのコンビニに行って最近お気に入りのクリームパンとヨーグルトを抱えてレジの前に並んでいたら、僕の前で会計をしようとしていた若い男性が女性店員から「お箸は必要ですか?」と尋ねられ、これに対して若い男性が「大丈夫です。」と答えたのを聞いて、僕は違和感を覚えた。


                    「大丈夫です。」というのは多分、「箸はいりません。」という意味だと思うが、「お箸は必要ですか?」と聞かれたのだから、必要なら「はい。」、不必要なら「いいえ。」と単純に答えればよいと思うのだが、如何だろうか。


                    先週、ある家電量販店でポイントカードの申し込みをした。若い男性店員が「申込書を書いてもらっていいですか?」と言うので、「わかりました。」と答えたのだが、「書いてもらっていいですか?」という表現がとても耳障りだった。敬語のつもりでその店員は使ったのだと思うが、なんとなく違うような気がする。


                    「○○してもらってもいいですか?」という表現は、「大丈夫です。」と同様、若い方々がよく使う。あまり格好をつけようとせずに、シンプルに「申込書をお書きください。」と言えば、それで済むと思う。


                    最後は、「〜からお預かりします。」。スーパーやコンビニのレジで、例えば900円分の買い物をして千円札を一枚差し出すと店員さんがよく「千円からお預かりします。」と言う。この「から」の意味が僕にはよくわからない。多分「から」は不要で、単に「千円お預かりします。」でいいのではないだろうか。


                    ということで、いろいろありますが、人生いろいろ、人生エロエロ。


                    写真は、結婚を発表したspeedの上原多香子ちゃん。僕は、speedのなかでは、彼女が一番好きです。

                    | red | 雑感 | 01:15 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                    0
                      復讐、あなたを殺し、私は監獄に行きます。
                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      復讐の話。


                      僕は独身なので男女の恋愛とか、離婚とかについて偉そうなことを言える立場にはないが、またしても離婚に際して「性格の不一致」という言葉が登場した。昨日、タレントの田中律子さんが15年間にわたる結婚生活にピリオドを打ち、離婚することが明らかになった。田中さんが所属する事務所は田中さんの離婚について「性格の不一致」が原因と発表した。


                      以前にも書いたが(2011.7.13)、離婚の際の常套句として「性格の不一致」や「考え方の相違」というのがあるけれども、そもそも論として、性格や考え方が一致しているカップルとか夫婦のほうがレアじゃないかと思う。いずれにしろ、離婚の際に「性格の不一致」といった手垢のついた古い言葉はもう使わないで、「夫が嫌いになった」「妻が嫌いになった」と正直に言うほうが、わかりやすくてスッキリするような感じがする。


                      さて、俳優の船越英一郎さんとタレントの松居一代さんはおしどり夫婦として有名である。昨年10月、船越さんに対する「激愛」を松居さんは次のような言葉で表現した。「もし何か間違い(浮気)を起こした時は、船越を殺して私は監獄に入る覚悟をしています。」。


                      この言葉、結構深いものがあるなあと僕は思った。僕は恋愛経験が少ないのでよくわからないのだが、夫が浮気をした場合、妻が復讐する相手は、果たして夫なのか、それとも夫を寝取ろうとした浮気相手の女性なのか、はたまたその両方なのか。


                      いま復讐という言葉が出た。ある学者によれば、法律を犯した者に課される刑罰というのは、復讐そのものであるとされる。個人が復讐する権利は、江戸時代までは武士に認められていたという話を聞いたことがある。そして江戸時代以降、個人の復讐する権利は国家に委譲(委託)された、別の言い方をすれば、個人の復讐する権利は国家に奪われたと言えるのかもしれない。


                      まあ、難しい話は法律の専門家に任せるとして、浮気した夫を殺すという松居さんの発言は、夫婦関係を破壊した「犯罪者」(船越さんのことですが、ごめんなさい。)に対する復讐の発想であり、その後に続く「監獄に入ります」という発言部分は、江戸時代であればそうする必要がなかったかもしれないが、現代では個人の復讐権が認められていない以上、松居さんは刑務所に入らなければならないということになる。そういう点からすると、松居さんは現代の法律のことをよくご存知だと言えるかもしれない。


                      写真は、映画「復讐するは我にあり」の一シーン。「復讐するは我にあり」というのは聖書からきている言葉で、この場合「我」とは神のことで、傷を受けた人(被害者)が復讐をしてはいけない、復讐を施すのは神であるという意味である。

                       


                       

                      | red | 映画 | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                      0
                        ホテルに行って、環境を変えてみたら如何でしょう?
                        JUGEMテーマ:日記・一般



                        アレの話。


                        昨夜、数人の仲間と新宿の居酒屋で飲み、大いに盛り上がった。大いに盛り上がった理由は、40代前半、結婚暦2年のある男性がアレ、つまり、奥さんとの夜の営みについて悩みを打ち明けたからだ。それを聞いた周囲の連中が、ああでもないこうでもないと、勝手な「アドバイス」をして盛り上がったのだ。


                        彼の名誉のためにあまり詳しくは書けないが、要するに、挿入して10分も立たないうちに、男性自身が萎えてしまうのだそうだ。そんな状況でも何とか夫の責任を果たそうとする彼の姿を見て奥さんが「もういいよ」と小さく声をかけてくれるのだという(すでに彼の名誉は傷ついてしまったかもしれまん。ごめんなさい。)。


                        そんな彼の話を聞いて周囲の連中は「運動してもっと体力をつければ元気になるよ」「いい薬があるから今度あげるよ」「ホテルに行って環境を変えてみたらどうだろう」など、まあ勝手なこと言い放題で、それでも彼のほうはそれらの「アドバイス」を真剣に聞いていた。


                        30年近くビジネスマンをやっていて僕が思うことは、気の知れた仲間でやる飲み会で、ほとんどの人が参加できる最大公約数的話題はなんと言ってもセックスに関するものではないかということである。仕事の話、政治の話も少しぐらいはいいと思うけど、いつまでもそんな話が続くと飲み会がつまらなくなる。


                        さて、居酒屋での飲み会終了後、僕は一人で歌舞伎町にあるニューハーフのバーに行った。その店で一番「美人」の元男性は、僕が携わっている新宿の飲食店にもたまに来てくれるのであるが、バイトの従業員が声を揃えて「彼女、綺麗な方ですね」というくらい「美人」なのだ。新宿はご存知のとおり、性に対していろいろな嗜好を持った人たちが集まる場所であるが、新宿にはそういう人たちを受け入れることのできる「包容力」が他の街に比べて圧倒的にあるように思う。


                        そもそも日本人は、昔から性に対してとてもオープンで、かつ、貪欲なものを持っていたように思う。例えば、江戸時代には、「陰間(かげま)」と呼ばれるニューハーフがすでにいた。陰間は少年が多かったと言われるが、客になるのは男性客ばかりではなく、未亡人や未婚女性もいたとされる。この陰間と男性客がセックスする様子は、春画として鈴木春信などが描いている。ご存知のように、ゴッホやモネが江戸時代の春画の技法を参考にしたことはよく知られている。


                        「あさめかまいじょう」とは、江戸時代に書かれた性の指南書である。四国道後で大成功を収めた女郎屋の主人が、女郎屋に来る男性客をいかに喜ばせ、かつ、女郎達の肉体的負担をいかに軽減させるかということを書き記したノウハウ書だ。例えば、巨根の男性客が来たときにはどうしたらよいのか、そんなことが書かれているのである。


                        ところで、巨根で思い出したが、ヨーロッパの絵画とか彫刻に登場する男性自身に比べて、日本の春画に描かれている男性自身のほうがはるかに大きく描かれているのはどうしてなのだろうか。また、女性器のほうも多少エロいぐらいまでに詳細に、かつ、大きく描かれている。このように男性器、女性器をデフォルメして描くことは、日本人のセックスに関する一種の遊心のようなものだったのではないかと僕は思う。


                        いずれにしろ、エッチな話をしているうちは、争いごとは起こらないような気がします。


                        写真は、タレントの川島なお美さん。日本を代表するセックスシンボルは、杉本彩さん、藤原紀香、そして川島なお美さんかと僕は思いますが、如何でしょうか。

                        | red | 新宿 | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                        CALENDAR
                        SMTWTFS
                            123
                        45678910
                        11121314151617
                        18192021222324
                        25262728293031
                        << March 2012 >>
                        PR
                        SELECTED ENTRIES
                        CATEGORIES
                        ARCHIVES
                        RECENT COMMENTS
                        MOBILE
                        qrcode
                        PROFILE
                        このページの先頭へ