効率の話。
三連休初日の14日、仕事で札幌に行ってきた。夜は当然の如くススキノで一杯やったのであるが、北海道も今年は節電の夏と言われているわりには、歓楽街ススキノにはそんなムードは一切なく、いつものようにネオンがきらきらと輝いていた。
さて、ヤフーニュースに、あるビジネス雑誌の記事が掲載されていて興味深く読んだ。タイトルは「なぜ効率ばかり追求すると利益が減るのか。」。効率ばかり追求するのは誰かというと、それは日本企業である。つまり、日本企業は効率ばかり追求しているので、革新的な製品などを生み出せない、これが記事の趣旨である。
では、どうすればよいのか。記者は、脱マニュアル経営で急成長しているアメリカの靴通販メーカーの例を挙げている。オペレーターはマニュアルを持たずに顧客と自由に会話をして、ときには1件の注文を受けるのに6時間を費やすこともあるという。この一見無駄とも取れる経営手法が、全米を熱狂させていると記者は紹介する。
記者はまた、革新的な商品やサービスを生み出すのは、従来型のエリートではなく、異端児だと指摘する。1日中イヤホンを耳に突っ込んで音楽を聴いている奴。いつも外回りと称して社外をうろついてばかりいる奴。仕事はろくにしないのにフェイスブックの友達の数が異様に多い奴等々。こういう社員が将来会社に大きく貢献できる可能性があり、彼らのような社員をどのくらい抱えることができるか、そこに企業の未来はかかっている、記者はそう結論する。
まあ、一理ある、と僕も思う。記者の言うように、「無駄」「遊び」といった非効率的な部分が企業にあっていいと思うし、むしろ、あったほうがいいのかもしれない。僕の働いている会社でも、30年前には、海外語学研修と称して、オーストラリアで3か月間「遊ばせてくれる」制度があった。僕はたまたまその第一号となったが、この制度は数年でなくなってしまった。
はっきり言えば、今の日本企業には、無駄や遊びを許容する余裕がないのだと思う。いつかは花が咲くだろうと信じて、無駄と思えることにお金を使ったり、社員を遊ばせておく、そういうことがしたくても出来ないのが、今の日本企業の状況なのではないだろうか。とにかく、明日、明後日には成果が欲しい、そんな時間に追われるように日本企業は経営しているような気がする。
しかしながら、無駄や遊びといった非効率的な部分を持とうとしても、企業の自助努力には限界がある。ならば、日本経済全体を盛り上げ、成長させていく、そういったマクロ的な視点から手を打つ必要がある。そんな状況のなかで、消費税を上げることは、消費全体を冷やして企業業績を圧迫することは明らかだし、もしそうなれば、日本企業はますます効率性だけを追求することになってしまう。
経済を生かすも殺すも、政治次第である。経済は政治とは別のレベルで動いていると考えている方もいるかもしれないが、我々の生活が政治と密接に係わっているように、経済も政治と表裏一体の関係にある。企業が儲かり、社員の給料が上がり生活が豊かになる、これが政治の役割だと思うが、日本企業に無駄や遊びはないが、皮肉を言わせてもらうと、「無駄な政治」「遊びの政治」が今の日本にはある、そう言われても仕方ないのではないだろうか。
写真は、新千歳空港に行くといつも撮ってしまう、北海道地酒のラベル集。国士無双という勇ましい名前のラベルがあるが、これは旭川市で作っている地酒です。