判定の話。
興奮と感動のロンドン五輪が終わった。感動シーンは人によってそれぞれ違うと思うが、僕は、女子バレーの銅メダル獲得が一番よかったと思う。銅メダルを決めた韓国との3位決定戦ももちろん素晴らしかったが、それ以上に、4強をかけて戦った中国戦の死闘は涙なしには観られなかった。
一方、何か変だなあと思ったのは、やはり、柔道男子66キロ級の「逆転旗判定事件」だったのではないだろうか。一旦は韓国選手を勝利とする青旗が3本挙がったが、審議の結果、今度は日本選手を勝利とする白旗が3本挙がってしまったのだ。この逆転旗判定には、勝ったほうの選手も負けたほうの選手もともに困惑の表情だったのが印象的だった。
この「事件」が起こった理由は、ジュリーと呼ばれるビデオ審判員の存在だ。マット下で3人のジュリーが、審判の判定に間違いがないかをビデオを見ながら監視しているのである。レスリングでも、審判の判定に不服があった場合、「チャレンジ」と書かれたスポンジをマットに投げ込んで、ビデオ判定を1回に限り求めることもできるというルールがあることも今回知った。
要するに、審判は誤審するかもしれないから、クレームがあったときはビデオを観て確かめましょうというわけだ。日本のプロ野球でも、ホームランの判定についてはビデオ判定が部分的に導入されている。しかしながら、サーカーには今のところ、ビデオ判定は導入されていない。スピード感が醍醐味のサッカーで、いちいちビデオ判定をやっていたら、試合が面白くなくなるということがあるからかもしれない。
かなり昔の話であるが、プロ野球の試合で審判の判定について監督が抗議をした際に、主審が「俺がルールブックだ。」と言って抗議を退けたという有名な話がある。この同じ審判はまた、別の試合で、ホームベース上でのクロスプレーでアウトの判定をしたが、翌日の新聞で、キャッチャーが走者にタッチしていない様子が写し出された写真が掲載された際に「写真が間違っている」と述べた逸話も残している。
結論から言うと、ビデオ判定はしてほしくない、僕はそう思う。公正を期す観点から、ビデオ判定を支持する人がいるが、誤審もスポーツのうち、冷たい言い方かもしれないが、誤審で破れた人は、それも自分の宿命として受け入れることではないかと思う。血の滲む練習してきた選手にとって誤審は辛いことだと思うけど、スポーツにはスピード感、流れといったものがあるので、その大切な部分をビデオ判定で損なわないでほしいと思う。
また一方で、審判の質を向上させる取り組みも必要だと思う。「あの人の下す判定ならどんなものでも従う。」、そう選手たちから信頼される審判が現状、いないのだと思う。ビデオといった精密機械に頼るのではなく、経験と試合を見る確かな目、こういったものを兼ね備えた信頼される審判にすべてを委ねる、それがスポーツのような気がする。
写真は、昨夜の神宮球場。暇だったので、夕方、阪神・ヤクルト戦を観てきた。暑かったので、ビールもすすんだ。試合が終わる頃には、ほろ酔い気分になっていた。