120歳の話。
世界有数の競馬、凱旋門賞で日本のオルフェーブルは2着に惜敗した。勝ったと思ったが、ゴール直前でフランス馬に差された。日本競馬界悲願の優勝は実現しなかったが、大健闘だった。ただ、改めて、世界の壁は厚いことを知った。
そんななか、医学界で世界の壁を突き破った日本人が現れた。ご存知のとおり、今年のノーベル医学・生理学賞に、京都大学の山中教授が選ばれた。iPS細胞、別名万能細胞の発見が評価されたのだそうだ。
専門的なことはわからないが、病気になった人の細胞を採取して臓器などを再生し、治療に役立てることができるのだそうだ。このiPS細胞は革命的な発見らしく、これまで受賞した日本人のノーベル賞のなかでも、傑出したレベルの受賞ということだ。
今朝のワイド番組はこの話題で持ちきりだったが、ある番組で、このiPS細胞の解説をしていた医療関係者の言葉が妙に気になった。治療や新薬の開発にiPS細胞が役立つことはなんとなくわかったのだが、番組のゲストが「iPS細胞で、寿命がどのくらい伸びますか?」と解説者に質問したら、「120歳くらいまで生きることが可能になるかもしれませんね。」と答えたのだ。
120歳。正直、勘弁して欲しいと思った。なるほど、医学に携わる人たちは、患者の治療と延命を使命にしているわけだから、人間の長寿のために尽くすことは当然の行為なのかもしれない。しかしながら、病気が治ることは良しとしても、結果的に120歳まで生きられるというのは、手放しで喜ぶべき事態なのかということは、よーく考えてみる必要がある。
ところで、みなさん、日本人の平均年齢(全日本人の年齢を足し合わせて、人口で割り算したもの。)をご存知だろうか。答えは、52歳。ちょうど、僕の年齢と一緒だ。ちなみに、経済発展が著しいベトナムの平均年齢は28歳と、日本より24歳も若い。ベトナムは綺麗な人口ピラミッド型になっていて、日本の高度経済成長期と同じ形だ。若い労働力がたくさんあるから、経済も元気だ。
少子高齢化という使い古された言葉があるが、人間が120歳まで生きられるようになると、これからは「少子超高齢化」の時代が到来することになる。もしそうなれば、いまでさえ年金、生活保護、老人福祉などの社会保障制度の維持が危うい状況と言われているのに、人生120年となれば、早晩、この制度は破綻する可能性が出てきたような気がする。持てる者だけが人生をエンジョイすることができ、そうでない者は貧しくて辛い人生を送らなければならない。もはや、格差社会などという生易しい言葉では表現できない過酷な社会の到来が現実となりつつある。
では、どうすればよいのか。日本の科学はノーベル賞レベルにあるのに、国民の生活を司る政治、経済のほうはどうやらノーベル賞にはほど遠いレベルにあるみたいだ。「貧しくても美しく生き」という言葉があるが、貧しさも程度問題である。夢があり、今日がんばれば明日は豊かになる、そんな時代ならこの言葉でいい。でも、経済は拡大しない、給料は上がるどころか下がってしまう、そういう現代では、この言葉はやせ我慢にしか聞こえない。
とにかく、経済を活性化させること、これに尽きる。その環境整備を行うのは政治家の仕事だ。しかしながら、どんなに不況でも生活には困らない政治家に、それを期待するのは無理かもしれない。では、誰に頼めばよいのか?そこが問題なのだ。
価値観という言葉はあまり好きではないけど、こうなったら、経済の再生はないことを与件として、生き方の価値観を見直すことも考えなければいけないかもしれない。田舎で自給自足して必要最低限の生活をする、贅沢はしない、そんな選択肢もありうるかもしれない。都会にいると、やたらとお金がいる。僕なんか、付き合いが多いから、外に出て食事をしたり、遊んだりする機会が頻繁にある。もちろん、田舎にいても人間関係、社会のルールからは逃げられないけど、都会よりは楽なような気もする。
結局、どうすればよいのか、僕にもわからない。ダラダラとこのまま都会生活を続けることになるのかもしれないし、ひょっとしたら、違う道を近い将来歩みだしているかもしれない。山中教授のノーベル賞受賞で世の中は大喜びだが、僕には悲劇の始まりにしか思えなかったのだ。
久しぶりのブログ更新で、完全に支離滅裂な文章になってしまった。どうぞ、ご容赦ください。写真は、今夜の新宿。右側に見えるのは今話題の「ビックロ」です。