人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      メス>オス、生物のことです。
      JUGEMテーマ:日記・一般

       
      オスとメスの話。


      アルベール・カミュ『異邦人』の主人公ムルソーは、ちょっとしたことから殺人を犯してしまう。犯行の動機を裁判で聞かれたムルソーは「太陽が眩しかったから」と答える。


      真夏日、熱帯夜がこうも続くと、殺人こそしないものの、僕も投げやりな気分になることがある。結果、お金を貯めて買おうと思っていたものを、つい、衝動買いしてしまう。


      『異邦人』は社会の不条理を書いたとされるが、この世の中は不条理だらけ、多くの人がそう感じているかもしれない。不条理ということではないが、生物のオスとメスでは、圧倒的にメスが優位というか、重要であるということを、生物学者の池田清彦さんが言っている(『オスは生きているムダなのか』)。


      僕は初めて知ったのだが、メスしかいない生物が世の中にはたくさん存在するのだそうだ。この場合当然、繁殖はメスだけで行うことになる。一方、生物界には、オスだけしかいない生物と言うのは、存在しない。池田さんは、ヒトを含め、生物の世界では、オスよりもメスのほうが重要だと書いている。


      明日早朝、ワールドカップで優勝を目指す「なでしこジャパン」を見ていると、女性の精神的強さを改めて思い知らされる。この世の中から男性が一人もいなくなっても、女性だけで人類は繁殖し続け、種は保存されていくような気になってしまう。そのくらい、生物的には、女性は優位にある。


      最後に、ちょっとだけエロな話(池田さんは学問として、もちろん真面目に書かれているのだが。)。人間の外部形態は左右対称であるが(例えば、目、耳。)、男女を通じて、あるものだけが、左右対称になっていないものがある。それは、何か?答えは、ズバリ、陰嚢(いんのう)である。通常は、左のほうが大きい。さっそく皆さん、ご自分の陰嚢の大きさをご確認ください。


      写真は、新宿駅東口。午後5時過ぎだというのに、太陽が眩しい。

      | red | | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        ゲイのためなら、女房も泣かす、否、芸のためならです。
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        浅草の話。


        僕は、上野のある会社に勤めている。浅草は上野からすぐなので、仕事をたまにさぼって、浅草寺のあたりをぶらつくことがある(写真)。今日も少し時間があったので、ちょっとだけ外出しますと部下に言い残して、浅草寺にやってきた。


        暑さのせいか、浅草寺境内の人出は多くなかった。外国人観光客はミネラルウォーターを手にしながら日陰を選んで歩いていた。たまに聞こえてくる風鈴の音も涼しげであるが、この酷暑のなかでは効果は薄い。そんななか、お参りを済ませた僕は、留守番をしている部下のためにと、雷門入り口にある老舗の人形焼屋に寄って人形焼を20個買った。


        有名芸人には、浅草のストリップ劇場出身者が少なくない。渥美清、東八郎、萩本欣一、坂上二郎、ビートたけし、ビートきよしなどがいる。矢野誠一さんが書かれた『昭和の藝人 千夜一夜』の冒頭で矢野さんは、芸人と芸能人の由来、違いなどについて説明されている。


        芸人たちは閉鎖社会を構成し、市民社会の要求する道徳律や倫理を無視した、奔放無頼な生き方がある程度許容されていた。その結果芸人には、河原者と呼ばれ差別されていたコンプレックスを、エネルギーに転化する独自のテクニックを有したが、一方、芸能人は、あふれんばかりの輝きを出すエネルギーを失っている。つまり、矢野さんは、芸人支持なのだ。


        渥美清、萩本欣一、ビートたけしなどは、なるほど芸人と呼ぶに相応しい感じがする。一方、今、連日のようにテレビで活躍する「芸人」と呼ばれる主に若い人たちは、矢野さんの言うところの芸人にはなんとなく当てはまらない感じもする。


        芸人と芸能人を神経質に分けて議論することにどれだけの意味があるのか、そういう意見も確かにあるだろうと思う。ただ、矢野さんには芸人に対する尊敬、こだわりがある。それはそれで、傾聴に十分値することだと僕は思う。

        | red | | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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          盗んだバイクで走り出すこと、いけません。
          JUGEMテーマ:日記・一般



          尾崎豊さんの曲に関する話。


          尾崎豊さんのヒット曲に「卒業」「15の夜」がある。それぞれの曲に次のような一節がある。


          ・夜の校舎 窓ガラス壊してまわった(「卒業」)
          ・盗んだバイクで走り出す(「15の夜」)


          劇作家である鴻上尚史さんの『不謹慎を笑え』というエッセイ本に、精神科医で大学教授でもある香山リカさんの話が紹介されている。香山さんは毎年学生たちに尾崎豊さんの曲を強制的に聞かせて、感想をレポートさせている。残念ながら、毎年、尾崎豊さんの人気が落ちているという。


          「どうして校舎の窓ガラスを壊して歩くのでしょうか?」
          「盗んだバイクで走り出すのは犯罪です。」
          「先生が敵とはどういうことなんでしょうか?」


          このような学生の感想が増えているらしい。これについて鴻上さんは、今の20代の若者に、尾崎豊さんの「匂いと焦り」を伝えることが難しくなったのではと述べている。


          さて、映画「マイ・バック・ページ」が公開されている。学生運動があった時代のジャーナリストと革命家を主人公にした映画だが、鴻上さんは、男たちはバリケードという非日常の戦いに敗れたが、あの時代、彼らにとって学生運動は「自分探し」の受け皿になっていたのではないか、そして今も、「自分探し」の受け皿を求めて、若者はウロウロとさまよっているのだと思います、と書いている。


          鴻上さんの話はなるほどなあ、と思う。ところで、「自分探しの旅」、という言葉がある。文字どおり、リュックサック一つを背負い、自分探しの一人旅に出ることもあるのかもしれない。でも、どうなのだろうか。見聞を広めるという目的で旅に出るのはわかるが、何度旅に出ても、自分を知ることは難しいのでは、と思う。


          自分はどのような人間であるのか、それを教えてくれるのは、自分と日常的に頻繁につきあっている周囲の人たちだと思う。友人、会社の同僚、趣味の仲間、飲み仲間、そういう人たちの「自分評」が本当の自分の姿なのだ。だから、本当に自分のことを知りたければ、思い切って彼らに「俺って、どういう人間かなあ?」と聞けばいいのである。でもきっと、周囲の人たちの口から出る「自分評」は、自分が考えていた「自分評」と異なることが多いような気がする。


          とはいえ、周囲の人たちに「俺って、どういう人間かなあ?」って聞く人は普通いないよね。そうなると、ほとんどすべての人間は、客観的な「自分評」を知らないまま一生を終えることになるよね。でもそれできっといいのかもしれない。


          さて、仕事で札幌に行ってきた。当然ススキノでガツガツ食べて、ガバガバ飲んできた。北海道は旨いものだらけだね。写真は、札幌テレビ塔から見た札幌市内(夜景壁紙.comから転載させていただきました。)

          | red | | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            はじめまして、redです。
            JUGEMテーマ:日記・一般



            こんにちは。red(レッド)です。今日からこちらでお世話になります。自己紹介はプロフィールをご参照ください。


            さて、今日の話。

            先日、仕事の関係で、生命保険に加入することになった。ご存知のとおり、生命保険に加入する際には、自分の健康状態を告知しなければならない。そのために、今年1月に受診した人間ドックの成績表を改めて眺めてみたら、かなりの検査項目で基準値を超えていることがわかった。


            僕は酒好きだが、タバコはやらない。だが、僕以上に酒好きでタバコをやる先輩は総じて、人間ドックの成績が僕より良いのだ。酒とタバコだけが人間ドックの結果を左右するわけではないだろうが、いずれにせよ、このまま不摂生な生活を続ければ、どこかで僕はポックリいくに違いない。


            長生きの家系、短命の家系というのは確かにあるような気がする。長生きか短命かは大きく言えばDNAの問題だろうから、そういう偏りが生じるのは当然かもしれない。僕のところは、ズバリ短命の家系だ。祖父も父も60代で亡くなっている。父にいたっては、ちょうど60歳のときにこの世を去っている。そういう流れの中に自分もいるのだと、あるときから自分に言い聞かせるようになった。


            日本人女性の平均余命は大体86歳である。ある予測によると、2100年にはそれが95歳になり、男性の平均余命も伸びて89歳になるという。一方、日本の人口は減少の一途を辿り、9100万人程度まで落ち込むとされている。こんな状況がこれから本当に続くのであれば、年金制度が破綻するのは火を見るよりも明らかなのではないだろうか。


            こう書くとお叱りを受けるかもしれないが、「日本人は長生きし過ぎるのではないか」「健康第一の思想をそろそろ捨てるべきなんじゃないか」、僕はそう考えてみたくなる。ところで、中部大学の武田邦彦教授が著された『生物多様性のウソ』に、動物の命と親子関係について、興味深い話が載っている。


            動物の場合、メスは生理が終わったらその命を閉じる。なぜなら、限られたエサのもとで最大限の命を守ろうとしたら、「子供をつくることができなくなった親は、エサをとる必要がない状態−死ぬ−ことが一番良い」という原理原則が自然界にはあるからだ。一方、人間は、そうはなっていない。これは人間が、自分のことを最優先させて、種族全体の繁栄を二の次にしているからではないか、武田教授はそう指摘する。


            年金は若い人が働いてお年寄りの生活を保障するという考え方であるが、動物は「親が子を育てる」ということはあっても、「子供が親の面倒を見る」というは全くないのだという。なぜなら、自然界では、子供が育ったら親は生きている価値はないからです、そう武田教授は書いている。


            僕はなにも、生理が終了したら女性は命を閉じましょうとか、子供は親の面倒を見なくてもいい、そう言いたいのではない。武田教授も同じだと思う。当然、「動物と人間はそもそも違うのだ」、多くの方はそう指摘されるだろう。まさにそのとおりなのかもしれないが、「長生きバンザイ」「健康バンザイ」とだけ叫び続けていると、どこかで社会がいびつな形になり、気がついたら日本全体が不幸になっていた、そんなことになりはしないかと、僕は心配しているのだ。


            経済が高成長して国民が豊かになり、出生率も高くなれば状況は変化するのかもしれないが、このまま低成長の経済が続けば、「長生き社会」は決して社会に幸せだけをもたらさないような気がする。


            僕の住む高円寺といえば、もちろん、高円寺阿波おどり(写真)。

            | red | | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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