人生はいろいろ。そして、人生はエロエロ。
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      愚かで、恥だらけの人生です。
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      人間の話。


      芥川龍之介の短編に『杜子春』という作品がある。唐の洛陽に、杜子春という貧乏な若者がいた。そこに仙人のような不思議な老人が現れ、その老人の言うとおりにした杜子春は一夜にして、都一の大金持ちになる。大金持ちになった杜子春のまわりには、お世辞を言う多くの人が集まってきた。


      しかしながら、杜子春は3年でお金を使い果たしてしまい、また貧乏になってしまった。貧乏になった杜子春の周りには、今度は誰も寄り付かなくなった。そこに再び老人が現れ、杜子春はまたしても一夜にして大金持ちになるのだが、前回同様、3年でお金を使い果たしてしまった。


      この後、杜子春は老人に弟子入りして仙人になろうとするのだが結局願いは叶わず、杜子春は現実の世界で「人間らしく、正直な暮らし」をするようになるという物語である。


      この短編小説は、人間らしく、正直に暮らすことの大切さを説く一方で、お金持ちにはお世辞を言って近づき、貧乏人には寄り付かないという、醜くて愚かな人間の本質も突いている。


      さて、昨日、福島第一原発事故に関する、政府事故調の報告書が発表された。事故調査報告書はこの他にもすでに3つ公表されているが、当然であるが、事故の原因分析について一致している点もあるが、相違する点もあり、どれが「決定版」なのか誰も判断できないことが、この事故の奥深さを物語っている。


      僕が注目したのは、4つの調査委員会の各委員長のコメントだ。昨日発表された政府の事故調委員長は「人間は都合の悪いことは見えないものだ。人間の考えに欠落があることを教えてくれたこの事故を、永遠に忘れることなく、教訓として学び続けなければならない。」と発言した。


      一方、国会の事故調委員長は「当事者は、事故の可能性を過小評価し、現実の前に謙虚さを失った。」とコメントした。また、民間の事故調委員長は「原子力関係者は、安全神話による自縄自縛に陥っていた。」と発言した。最後に、当事者である東京電力の事故調委員長は「費用を惜しんで対策を怠ったわけではない。想定外の事態に対処することも必要だと事故を通して学んだ。」と話した。


      最後の東京電力を別にすると、他の3つの事故調委員長のコメントには共通点があることがわかる。それは、一言で言えば、人間は愚かだということだ。人間は利己的で、愚かだということは『杜子春』の昔からそうだし、これからも多分人間は愚かであり続けるに違いない。少しでも愚かでない人間になるには、人間は愚かな存在であるということを十分認識し、謙虚になること、それ以外にないような気がする。


      写真は、女優の水野美紀さん。映画「恋の罪」でヌードを初披露した。ファンだっただけに、嬉しいやら悲しいやら複雑。

      | red | 時事 | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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        一事が、万事休す?
        JUGEMテーマ:日記・一般



        常識の話。


        僕はこのブログであまり政治的な話をしないようにしている。でも、たまにはその手の話をせずにいられないときもある。ということで、今日は原発にまつわる話。


        福島第一原発事故に関連して、将来の原発比率をどのくらいにするべきなのか、このことに関して国民の意見を広く聴こうという目的で、仙台や名古屋などで意見聴取会が開かれた。将来の原発比率案は「0%」「15%」「20%〜25%」の3つ。僕は冷静にいろいろ議論すればいいと思うが、報道でご存知のとおり、電力会社現役社員が仙台と名古屋の聴取会に参加して、会は一時騒然となったらしい。


        電力会社は原発に関する当事者であるから、意見を述べる立場ではなく、意見を聴く立場にあるはずだ。個人の資格で参加したと言い訳しているが、この期に及んでいまだ児戯に似たことを言っている。政府は、当事者である電力会社の意見は個別に聞けばよいのであって、広く国民の意見を聴くための場に電力会社現役社員を参加させれば(抽選で決まったとされているが甚だ疑問)、世間のバッシングを受けることは、子どもでも出来る想像だ。


        政治はもっと常識的であってほしい、そう思う。常識って何、そう聞く人があるが、そんな難しいことはなくて、ある事柄について質問して、100人中70人くらいが同じ回答をしたら、それがその時点における常識と考えていい(ただし、この常識は不変ではないことに注意がいる。)。いろいろな揉め事があったときに僕は、法律などのルールを定規としてまず置き、併せて、常識的にはどうだろうかという視点を取り込んで、最終判断をするようにしている。


        民主党は3年前の選挙で、自民党政治では国民は幸せになれない、そう訴えて政権交代を実現した。当時、民主党のこの訴えを信じた多くの有権者は(もちろん、マスコミも含め。)、民主党に投票することは半ば有権者の常識だとして、民主党に投票しなければ人にあらずといったムードさえあった。でも、今はどうだろうか。


        多くの有権者は、民社党に投票したことを後悔しているのではないだろうか。当時の政治的な常識は、実は明らかに間違っていたのだ。このように、常識というものは実に危ういところがあるのも事実だ。しかしながら、一般常識というのは時代で多少の変化はあるにしても、本質的な部分、コアな部分は不変と考えていい。この一般常識を民主党が持ち合わせているのか否か、この頃本当に心配になる。


        一事が万事という言葉があるが、今回のようなことを起きるということは、別のことについてもこれから同じようなことが起きるということを示唆していて、そうなると、民主党の賞味期限はもう切れかかっている、そう判断せざるを得ないのではないだろうか。


        写真は、グラビアアイドルの熊田曜子。エロいね。この頃芸能人、タレントの結婚ラッシュだね。

         

         

         

        | red | 時事 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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          面白くない、本当は面白い?
          JUGEMテーマ:日記・一般



          テレビの話。


          僕は大のテレビ好きで、テレビのない生活は考えられない。深夜番組も小学生の頃から観ていて、「11PM」のようにちょっとエッチな番組を父と真剣に観ていると、母が怒った顔をして居間からいなくなったのをよく覚えている。その頃は僕も今より感受性が強かったから、ほとんどの番組は刺激的で、面白いと思って観ていた。


          朝日新聞は先日、3000人を超える読者を対象に、テレビに関するアンケートを実施した。そのなかで、「最近のテレビ番組はつまらない?」という質問に対して、75%が「はい。」と答えたそうだ。「どのジャンルの番組がつまらないか?」という質問には、バラエティー(お笑い)が断トツの第1位で、ドラマ、情報・ワイド番組、クイズ番組がこれに続いた。


          このアンケート結果について少し書いてみたい。「つまらない」という言葉を「面白くない」という言葉に置き換えて進めさせてもらうが、「お笑い番組は面白い、それとも、面白くない?」と問われて、いずれかの回答がハッキリできる人は、お笑い番組を結構観ている人に違いない。お笑い番組をほとんど観ない人は多分、「よくわかりません」と回答するだろう。


          白か黒の判断をハッキリできる人は、そう判断するだけの相当の情報量を持っているはずだ。邪推になるかもしれないが、「お笑い番組は面白くない。」と答えた人は、実はよくお笑い番組を観ている人で、一つか二つ、面白くないと思う番組があるだけで、総合評価としては「面白くない」と回答するのではないだろうか。


          さらに言うと、今のお笑い番組は面白くないと言われる一般論があるなかで、自分だけが反旗を翻して「面白い」と主張することはとても勇気のいることだし、もし自分だけ「面白い」と主張すれば、「あいつは、お笑いのことがよくわかっていない」と周囲からバカにされる事態にもなりかねない。つまり、一般論、言い換えれば、世間の常識に抗して自分の意見を素直に述べることを躊躇(ちゅうちょ)した結果、圧倒的にお笑い番組が面白くないということになったのではないだろうか。


          次に、視聴率ということからテレビ番組のことを考えてみたい。一般的に、視聴率の高い番組=面白い番組、ではないとされる(異論もある。面白い番組であるから、視聴率も高いのだ、そう考える人もいて、その場合にはこの等式が成り立つ。)。ただ、国営放送局を除き、民放各局の収入は企業広告で成り立っているから、どうしても視聴率の取れる番組制作を志向することになってしまう。


          視聴率優先の番組作りが、今のテレビ番組をつまらないものにしている、そう主張する人が少なくない。でも、視聴率と面白い番組の間に正の相関関係がないとするなら、視聴率優先の番組作りをすることは、必ずしも悪いことではないということになる。それでは、今のテレビ番組が総じて面白くないと言われる原因はどこにあるのだろうか。


          テレビ業界にまったく素人である僕の推測であるが、多分、テレビ番組制作に携わる人たちの「能力」「才能」の問題なのではないだろうか。良い番組、面白い番組を一生懸命作りましょうと号令をかけてみても、制作する側の人間にその期待に応えられるだけの能力が備わっていなければ、面白い番組を作ることができない。会社経営に僕も携わっているが、どんな会社、どんな組織でも、良い商品、良いサービスなどを創造出来るか否かは、ひとえに「人」にかかっているといつも感じでいる。


          さて、昨日は上野アメ横の居酒屋で泥酔。どうやって家にたどり着いたのか、記憶が定かでない。写真は、GACKTとの熱愛報道があったICONIQ。どちらの名前も知らないと多分読めないね。

           

           

          | red | 時事 | 09:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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            あなたの評価、思ったほど高くないですよ。
            JUGEMテーマ:日記・一般



            働くことの話。


            今週は福岡、札幌と出張が続き、最後は新宿、銀座の大宴会で一週間を終えた。「休肝日」は一日だけで、計算してみると、働いた時間よりも飲んでいた時間のほうが長かった、そんな一週間だったような気がする。


            さて、高収入があるタレントの母親が生活保護を受けていたことが社会問題、政治問題になり、このことについて賛否両論がいまだにあるようだが、ビートたけしさんが今週発売の週刊ポスト誌上で述べていた意見が、僕は一番当を得ているような気がした。


            生活保護を受けるということは、昔は恥ずかしいことだとされていた。受給者は生活保護を受けていることを口外しなかったし、周囲もそのことについて触れなかった。ところが今は、生活保護を受けることが恥ずかしいことだという感情を失ってしまって、そこが大きな問題だとたけしさんは指摘する。


            現実はとても厳しくて、楽な仕事はないし、一生懸命働いてもなかなか報われない、でも、働いていかなければならない、そういう当たり前の原則を、安易な生活保護受給制度は崩してしまったと、たけしさんは指摘する。


            なかなか鋭い指摘だと思う。今回の問題は、働くということに対する価値観が変化していることが背景にあると、たけしさんは考えている。


            では、人間はなぜ働かなければならないのだろうか。こういうタイトルの本が巷には結構ある。そのことだけで一冊の本ができてしまうわけだから、なぜ働くのかという「根源的」な問いは、随分奥深いもののように見える。でも、なぜ働くのかという問いに対する答えはそんなに難しいものではないと、僕は思う。「働くことに、特別な理由はない。」、これが僕の回答だ。なぜなら、人間として生まれた瞬間から、人間は働くことを宿命付けられていると僕は考えているからだ。


            さて、先日あるテレビを観ていたら、大卒の新入社員の3割は、3年以内に会社を辞めてしまうという話をしていた。実際に入社してみると、入社前にイメージした会社と違ったとか、人間関係が嫌になったとか、まあ、想像できるような退職理由が並んだが、離職すること自体が悪いと思わないが、そういう人はどの会社に行ってもきっと、仕事が長続きしないに違いない。


            なぜ離職するかということを少し考えなければならない。僕は人事の仕事も長いのでいろいろと考えるところがあるのだが、自己を過大評価をする人は仕事があまり出来なかったり、周囲と協調性を持って上手く付き合えなかったりして、結果、離職(転職)する、そういう傾向があるような気がする。多くの労働者は会社から給料をもらっているわけだが、今言ったような社員は、年収の自己評価は800万円なのに、会社は600万円としか評価してくれない、そういった不満を持つことが多い。


            就職することもままならない厳しい世の中にあって、給料が多いとか少ないとか、正直、現実に対する認識が極めて甘いと思う。たけしさんが言うように「楽な仕事なんてどこにもない。それでも生きていくために耐えていくしかない」のだと僕も思う。


            写真は、札幌にある旧道庁赤レンガ。新緑が目に眩しい。

            | red | 時事 | 17:13 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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              あなたも別人になりすまし。
              JUGEMテーマ:日記・一般



              なりすましの話。


              仕事で、久しぶりに福岡に行ってきた。天気にも恵まれ、一昨日の夜は中州の街をちょっぴり楽しませてもらった。福岡は美人の産地だが、あるバーでご一緒した女性も、色白、面長の典型的な博多美人だった。調子に乗ってウイスキーを飲みすぎ、今朝は二日酔いだった。でも、美人に会うために、今度はプライベートでまた行ってみようと思う。


              さて、話はまったく変わる。作家、松本清張氏の作品のなかで、読者が一番読んでみたい作品は何かご存知だろうか。それは、『砂の器』という作品だ。映画化、テレビ化が何度もされているから、本を読んでいなくても、内容をご存知の方は多いのではないだろうか。この作品のキーワードはズバリ「出生の秘密」だと僕は思う。


              殺人犯である新進気鋭の音楽家は、自分の不幸な生い立ちを隠ぺいするため、大阪浪速区の空襲で住民戸籍原本が焼失したことに目をつけ、架空の戸籍を作成し別人になりすまして生きてきた。彼は幸運にも音楽家として成功の道を歩むことになったが、彼の本当の生い立ちを知る人間が彼の前に現れたとき、彼は自身の栄光を守るため、その人間を殺してしまう。


              戦中、戦後の混乱期だからこそ、他人の住民票を使って別人になりすまし生きていくことが可能だったに違いない。松本清張氏の着眼は見事であるが、別人になりすまして生きるということが、この現代にも起こった。ご存知のように、地下鉄サリン事件で特別指名手配されている高橋克也容疑者が、実在する別人の住民票を利用して生活していたことが判明したのだ。


              他人の住民票をどうやって入手したのはわからないが、いずれにしろ、しっかりしていて完璧に見えるいろいろな社会システムが、実は、欠点だらけであることがよくわかる。どんなに立派なシステムを作っても、それをオペレーションするのは所詮人間であるから、エラーは必ずついてまわる。残念だけれども、世の中ってそういうものかもしれない。


              写真は、福岡で昼食べた皿うどん。地元の方にすすめられて食べてみた。

              | red | 時事 | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                私もスター、あなたもスター。
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                スターの話。


                僕の持っている古い英和辞典でstar(スター)の意味を調べてみると、星、恒星といった意味が最初に載っていて、最後のほうに、演劇、映画、歌手などの第一人者、エースという意味が載っている。その用例として、a movie star(映画スター)とある。


                スターといえば、古くは美空ひばり、石原裕次郎、長嶋茂雄、王貞治等、歌謡界、映画界、スポーツ界などにそれぞれ大スターと呼ばれる傑出した才能ある人物がいた。そういった大スターに我々庶民は羨望と憧れを持ってはいても、彼らは明星に輝く星であるから、我々の全く手の届かない、遠い世界にいるものだと思っていた。


                僕は北海道で生まれ育ったので、そういったスターに遭遇する機会はほとんどなかったから、スターが割りと身近にいる東京の方と比べて、スターとの距離感は格段にあったように思う。だからということではないが、北海道の人間は、スターに遭遇するとすかさず紙とペンを取り出してサインしてもらおうとする傾向があるような気がする(結局、田舎者ということなんだよね。)。


                さて、サクラサイト商法というのをご存知だろうか。僕も先日あるテレビ番組を観て初めて知ったのだが、サクラサイト商法とは、有名タレントや芸能人になりすましたサクラが、メールなどを通して有料サイトに誘導する詐欺商法のことである。メールをもらった被害者は本物の有名タレントなどと直接メールのやり取りができていると思い込み、メールをする都度、課金されてしまうもので、数百万円を騙し取られた男性もいるという。


                この頃のスターは、ファンとの距離感がないように思う。それだけファンにとってスターは身近な存在になったということだから、歓迎されるべきなのかもしれないが、今回の詐欺商法は、そういった背景を上手く利用したものと言えるかも知れない。一昔前なら、スターから直接メールや手紙が来ると考える人はいなかっただろうし、もしそんなメールなどが来たら「これは絶対にウソだ」と判断できたに違いない。


                一方、メールを受け取る側の人間にも変化があったのかもしれない。ご存知のように少子化社会が進行し、子どもは大切に育てられ、総じてということであるが、わがままな性格を持った子どもが増えたように思う(卑近な例だが、僕の甥っ子たちを見ていてもつくづくそう感じる。)。わがままというのは、自分が主役だという考え方と合い通じるところがあると思う。さらに、自分が主役という考え方は、自分はスターだという自惚れ(?)にまで至ってしまう可能性がある。


                したがって、本物のスターから、自称スターの自分に突然メールが来ても何の不思議もない、そう思ってしまうのではないだろうか。繰り返しになるが、一昔前なら「そんなことは有り得ない。」、そういった謙虚さがあったように思うが、みんながプチスターになり得ることが可能な社会と、少子化社会の進行という二つが相俟って、今回のサクラサイト商法が生まれた、そんな感じがする。


                写真は、大阪千日前にある「なんばグランド花月」。今度大阪に行ったら、一度入ってみようと思う。

                | red | 時事 | 15:35 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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                  狭い東京、そんなに急いでどこに行く。
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                  セキュリティーの話。


                  渋谷駅で先日、新聞配達員の53歳の男性が重傷を負った事件で、埼玉県に住む32歳の男性が一昨日、逮捕された。調べに対してこの男性は、被害者の男性とぶつかって頭にきたので、持っていたサバイバルで刺した、殺すつもりはなかったと供述しているという。


                  駅構内でのトラブルが頻発しているが、今回の事件のように、サバイバルナイフなどの「凶器」を持ち歩いていること自体、異常なことのように思う。実は僕のいる会社でも先日、ある若い男性社員が駅構内でトラブルに巻き込まれて、同じ電車に乗り合わせていた男性に殴られ、警察沙汰になった。今回はすぐに和解して大ごとにはならなかったが、一つ間違えると、ニュースになったかもしれない。


                  さて、1978年、「皇帝のいない八月」という映画が封切られた。主演は、渡瀬恒彦と吉永小百合で、政権打倒を目論んだ自衛官らによる列車ハイジャック事件を描いたものだった。それから7年後の1985年には、「新幹線大爆破」という映画が公開された。主演は、高倉健。新幹線に爆弾を仕掛けた、速度を落とした瞬間に爆発するとの脅迫電話が、当時の国鉄に入る。


                  これらの映画を観て僕は、鉄道というのは、セキュリティー面で実にぜい弱(というより無防備?)な交通手段だなあと思った。電車に乗るときに、飛行機のようなセキュリティー検査がないから、武器や爆弾などの「凶器」を簡単に電車内に持ちこめてしまう。だからといって、鉄道を利用する際に、改札でいちいちセキュリティー検査をしていたら、交通は完全に麻痺してしまう。


                  冒頭の話に戻るが、犯人の持っていたナイフの刃渡りは30センチだったという。でも、このようなナイフなどの刃物類を販売禁止することは、現実的には無理な話だ。そうなると、世の中には人間を殺傷できる「凶器」がいっぱいあって、我々はそれらを自由に購入、そして持ち歩くことができる、そうな状況に我々はいることが改めてわかる。


                  駅構内のトラブルは、結局、「人が多いこと」に起因しているのではないだろうか。人の身体に接触したり、鞄がぶつかったり、人が多いこと=狭いということが、トラブルのそもそもの原因のように思う。地方では、今回のような刺傷事件はまず起きないように思う。ならば、人を減らせばよいのでは、自然に考えるとそうなるが、以前ここで書いたように、首都圏の半分くらいの人が(約1800万人)北海道に移住すれば、駅構内トラブルは本当に解消されるような気がする。


                  こういう問題は、セキュリティー(例えば、防犯カメラ)を強化するとか、モラル向上の啓蒙活動をするとか、残念ながらそういったことでは解決できないと思う。いつもながらの暴論であるが、首都圏の人口集中を分散化する(分散先は食料自給率の高い北海道がいいと思うが)、このことが今回の問題も含め、いろいろな問題(高い住宅価格、通勤地獄、直下型地震、異常に暑い夏etc.)を解決してくれるような気がするのだが、如何だろうか。


                  さて、昨日は接待があって、一次会を上野(写真は、上野駅構内。結構、人がいるね。)、そして二次会、三次会を久しぶりに銀座でやり、今日は多少二日酔いです。

                  | red | 時事 | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                    酒は飲め飲めの国の、禁酒令。
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                    禁酒の話。


                    今年2月、アメリカで1920年に実施された禁酒法の話を書いた。酒は悪いもの、そう主張する政党がアメリカ全土で啓蒙活動を行い、その結果、酒を飲むことを禁ずるとする前代未聞の禁酒法が成立した。


                    禁酒法成立後、皮肉なことに、密造酒など非合法の酒が登場して国民の飲酒量は増え、これに伴って交通事故も増えたとされる。そして、有名なアル・カポネなどのギャングが密造酒を売って大儲けして、アンダーグランドの危険な世界も出現した。


                    アメリカの禁酒法は、酒やタバコなどの嗜好品をあまり規制し過ぎると、社会がおかしくなってしまうという好例だが、現代版「禁酒法」が日本でも実施された。といっても、法律を作って全国民を対象としたわけではなく、酒に関する不祥事が続いた福岡市の市長が、職員約1万人を対象にして、1カ月間、自宅以外での飲酒を自粛するよう通知を出したのだ。


                    アメリカの禁酒法は、酒自体が悪いもの、これが発想の原点になっているが、福岡市の場合は、市長の言葉を借りると「市役所の飲酒風土、あしき慣習を断ち切るためにはショック療法が必要」だからというものだ。それにしても、福岡市役所の「飲酒風土、あしき慣習」とは具体的にどんなものなか、興味があるところだ(6月初旬に福岡出張があるので、酒場をいろいろ歩いてみたい。)。


                    僕の感想であるが、たかだか1カ月間禁酒を実施しただけで「飲酒風土、あしき慣習」が治るとは思えないし、今回の通知は「ショック療法」といえるほどインパクトのある措置でもない。1カ月後には多分、職員のみなさんは行きつけの居酒屋などで、今まで通りの飲み方をしているに違いない。


                    酒の飲み方というのは「モラル」の問題であるから、「社会人として常識的、良識的に行動するように」と全職員に対して改めて市長は訓示する、それで事足りると思うのだが、如何だろうか。


                    今日は、新宿で取引先の接待があった。かなり飲んで酔っ払ったが、世間様にご迷惑はかけなかったと思います。写真は、昨夜の新宿ゴールデン街。

                     

                    | red | 時事 | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                      こどもの日、お父さんにも感謝しましょうね。
                      JUGEMテーマ:日記・一般



                      こどもの日の話。


                      「国民の祝日に関する法律」という仰々しい名称の法律がある。でも、条文はたったの3条しかなく、その第2条に、国民の祝日が15列挙され、何をお祝いする祝日なのかも書かれている。


                      どんな祝日があるのかというと、「元日」「成人の日」「建国記念の日」「憲法記念日」......「体育の日」「文化の日」「勤労感謝の日」と続き、最後は「天皇誕生日」になる。祝日が何月何日なのかを見てみると、大きく二つに分類されることがわかる。一つは、「元日(1月1日)」「憲法記念日(5月3日)」など、月日が「固定」されているグループで、これが全部で8つある。もう一つは「成人の日(1月の第2月曜日)」「海の日(7月の第3土曜日)」など、月日が年によって「変化」するグループで、これが全部で7つある。


                      まあ、そんなことは大したことではないのだが、僕が注目するのは、何をお祝いするのか、その目的部分だ。「元日」は、「年の初めを祝う。」とある。なるほど、なるほど。そして、今日「こどもの日」はこう書かれている。曰く「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」。


                      国民の成長や健康に直接言及している祝日はこの「こどもの日」のほかに、「成人の日(おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。)」と「敬老の日(多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。)」の二つがある。この二つは、お祝いの目的を読むと、なんとなく「あー、そうだよなあ。」とすぐに合点が行く。しかしながら、「こどもの日」をお祝いする目的を読むと、僕はなんとなく違和感を覚える。


                      その前に、5月5日は「端午の節句」でもあるが、「端午の節句」=「こどもの日」ではない。ご存知のように、3月3日は「桃の節句」で女性のための節句、一方、「端午の節句」は男性のための節句で、鯉のぼりなどを掲げるのは飽くまでも「端午の節句」に基づくもので、「こどもの日」に基づくものではない。


                      「こどもの日」の「こども」というのは、男女両方のことなのだ。まあ、ここまでは割とよく知られたことだと思うのだが、また暴論と言われるかもしれないが、僕が気になるのは「こどもの人格を重んじる」「母親に感謝する」という部分だ。


                      「こどもの人格を重んじる」というのは、両親や社会全体がこどもを大切にするということだと思うが、どうしても「こども」と「人格」という組み合わせというか、バランスがよくないように思うのだ。誤解してほしくないのだが、こどもに人格がないと言っているのではない。こどもも含め、人間なら誰にでも重んずべき人格があると思うが、僕なら素直に「ごどもを大切(または、大事)にして」と書きたいところだ。


                      「母親に感謝する」というのは、今度は、こどものほうが母親に感謝するということだ。みなさんのなかにも、「どうして母親だけなんだ。父親にも感謝すべきじゃないか。」、という疑問を持たれた方がいらっしゃると思う。もっともな疑問だと思う。こどもを育てるのは母親だからとか、家事をやっているのは母親だからとか、いろいろ理由があるのかもしれないが、時代の変化のこともあるが、冷静に考えてみれば、やはり、父親にも感謝すべきだと思う。


                      だから僕は「母親に感謝する」ではなくて、単に「親に感謝する」としたら良いのではないかと思う。現実的なことを考えてみても、不幸にして母親がいなくて、父親とこどもだけの親子だって少なからずいると思う。そういう場合には、「母親に感謝する」という表現では不都合が起こってしまうのではないだろうか。


                      せっかくの楽しい祝日なのに、つまらない話をダラダラ書いてしまい、申し訳ありませんでした。


                      写真は、オーストラリアの女優、二コール・キッドマン(映画「EYES WIDE SHUT」はよかった。)。明日の夜、仕事でオーストラリアに行きます。水曜日の夜に戻ります。もし時間があったら、現地の様子をレポートしますね。

                      | red | 時事 | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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                        安かろう悪かろう、の反省。
                        JUGEMテーマ:日記・一般



                        安さの話。


                        ゴールデンウィークがスタートした直後、悲惨な事故が関越自動車道で起こった。ディズニーランドを目指した大型観光バスが道路脇の壁に激突。バスは真っ二つになり、40名以上が死傷する大惨事となった。


                        詳しい原因究明はこれからだが、運転手の居眠りが原因と見られている。事故を起こした運転手は、一人で運転していたという。推測するに、運転手が二人だと旅行会社、バス会社とも採算が合わないくらいの「激安ツアー」だったのだろう。「安かろう悪かろう」という言葉があるが、何でも安ければ良いという時代の風潮に、今回の事故が警鐘を鳴らしてくれればと、僕は思った。


                        格安航空会社が本格営業を始めたが、僕は利用する気に全くなれなかった。サービスを減らし、人件費を節約したが、安全面は大丈夫と航空会社は胸を張るが、にわかに信じ難い。コスト削減を追及するあまり、どこかに必ず負胆、負荷がかかって、いつか事故が起きる気がしてならないのだ。


                        モノの値段が下がるというのは消費者にとっては幸せなことかもしれない。しかしながら、どんなことにも程度問題というのがあって、物価が下がり続けるデフレ社会が長く続いてしまうと、価格競争力のない中小・零細企業は倒産し、失業者が増える。また、製品やサービスの品質劣化が生じ(今回のバス事故はその具体例と言える。)、結果、さまざまな「事故」が起こり国民生活を脅かすことになる。


                        こう書くと暴論かもしれないが、ある程度のお金の余裕、無駄というのは、実は、国民生活を守るために必要なことだと僕は思っている。今回の件にしても、片道3900円を5000円にしていたら、運転手がもう一人配置されて、事故は防げたかもしれない。そう考えると、我々消費者は、なんでもかんでも、安ければよいという消費態度を、改める必要があるような気がしてならない。


                        そうでもしなければ、製品やサービスを供給するサイドの企業は、いつまでも「安かろう悪かろう」的な製品やサービスを提供し続けるに違いない。


                        しかしながら、少しでも安いものを買いたいというのは人情である。もしそうであるならば、社会を、デフレ社会からインフレ社会に転じていく政策を政府は早急に取るべきである。そのために、消費増税はやってはいけない。消費税が上げれば消費が一層冷えるから、今よりデフレ社会が深刻になることは、素人が考えてもわかることだ。


                        個人も企業もお金を使えない今、お金を使えるのは唯一政府しかないのだ。必要なお金なら、いくらでも作れる。造幣局にある輪転機をフル稼働させて紙幣を刷ればいいのだ。そのお金を、震災復興やその他の公共事業に使って世の中にお金を循環させることが、政府が今やるべきことだと思う。そうすれば、世の中は必ずインフレに転じるし、円の価値は相対的に低下して、円安傾向にも寄与することになる。


                        そうしないと、いつまでも片道運賃3900円、運転手1名のバスに国民は乗ってしまい、事故はなくならないに違いない。

                         

                        写真は、キャスターの吉田恵さん。めざましテレビの頃から観ていたが、最近離婚したことがわかった。写真は若い頃のものだが、こんな美人でも離婚してしまうんだね。

                        | red | 時事 | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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